愛宕下あたごした)” の例文
店の者に云い置いて、半七は更に愛宕下あたごしたの藪の湯をたずねた。藪の湯は女房が商売をしていて、その亭主の熊蔵は半七の子分である。
半七捕物帳:52 妖狐伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのころの太郎はようやく小学の課程を終わりかけるほどで、次郎はまだ腕白盛わんぱくざかりの少年であった。私は愛宕下あたごしたのある宿屋にいた。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼は愛宕下あたごした辺の伯父の家に寄食しているとばかりで、どういうわけかだれにも自分の住居を知らせなかった。伊東は彼をなぶるときに、よく
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
愛宕下あたごしたの通りを横切り、櫻川町の大きなどぶわきを歩いてる時、物好きにその中の黒い水たまりを人の門燈の光にのぞいて見た。
明治十七八年ごろのことであった。改進党の壮士藤原登ふじわらのぼるしば愛宕下あたごしたの下宿から早稲田の奥に住んでいる党の領袖りょうしゅうの処へ金の無心むしんに往っていた。
雑木林の中 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
綱宗の夢寐むびの間におもひせた亀千代は、万治三年から寛文八年二月まで浜屋敷にゐた。此年の二月の火事に、浜屋敷は愛宕下あたごしたの上屋敷と共に焼けた。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
神田へ出て、日本橋を通って、丸の内へ入って、芝へ出て、愛宕下あたごしたの通りをまだ真直ぐにどこまでともなく飛ばせる。ついに駕籠は芝の山内さんないへ入る。
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それは盗賊を訴人そにんした者に、「銀二十五枚を与える」という触書のことであった。芝愛宕下あたごしたの南宗院という寺へ三人組の賊がはいり、寺宝を幾つかぬすみ出した。
が、それも年々思わしくなくなる一方で、もう米次郎には挽回の策のほどこしようもなく、とうとう愛宕下あたごした裏店うらだなに退いて、余生をびしく過ごす人になってしまった。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
もと大秀の兄弟分であった大工が愛宕下あたごしたの方にいることを、思いだして、それに店の手入を頼んでから、郵便局に使われていた古いその家の店が、急に土間に床がこしらえられたり
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
大名の屋敷はその頃上屋敷中屋敷下屋敷と三ヶ所に分って構えたもので、私の君侯の上屋敷は芝愛宕下あたごしたにあり、中屋敷は三田一丁目にあり、下屋敷は深川や目黒や田町などにあった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
芝区内では○愛宕下あたごしたの桜川また宇田川○芝橋かかりし入堀(これは震災前埋立)
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
葬式とむらい愛宕下あたごした青松寺せいしょうじで営みまして、やがて式も済みましたから、文治は※※かみしものまゝ愛宕下を出まして、亥太郎、國藏、森松の三人を伴い、其の他の見送り人は散り/″\に立帰りました。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
愛宕下あたごしたから今の住居すまいのあるところまでは、歩いてもそう遠くない。電車の線路に添うて長い榎坂えのきざかを越せば、やがて植木坂の上に出られる。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
義雄は愛宕下あたごした町の大野の家へ行つて見たのであつた。が、主人はゐなかつた。何だか、不斷のやうにづか/\あがつて行きにくいやうな氣がして、細君を呼んで貰つた。
田村右京はもと栗原郡岩ヶ崎で、一万五千石だったが、名取郡岩沼にところ替えして、やはり三万石となり、愛宕下あたごしたに屋敷をもらった。右京は綱宗の庶兄で、年も三歳上であった。
岸本は愛宕下あたごしたの方に居て嫂の遺骸が火葬場の方へ送られたことを聞いた。それを聞いた日から、彼は自分の懺悔ざんげの稿を起した。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信じ、頼っていた、親が非業に死んだあと、おまえの家に預けられていたし、良源院へ移ってからも、姉弟の世話はおまえが受持っていた、そして、愛宕下あたごしたの出来事があり、船岡までいっしょに旅を
浅草から高輪へ移され、高輪から愛宕下あたごしたへ移された八角形の時計は未だ振子の音を止めないで、園子の達者であった時代と同じように時を刻んでいた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「いま愛宕下あたごしたのほうへ曲るのをみました」と弥吉が云った。
渋谷の輝子は岸本の方から送った手紙を谷中まで届けに行った帰りだと言って、愛宕下あたごしたの下宿へ立寄った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「しかし、良源院は芝の山内さんないで、愛宕下あたごしたのお屋敷からはひとまたぎだし、此処からもさして遠くはない、母や私は、これからもできる限りお二人のちからになろう、どうかそう思って、向うへいっても心丈夫に辛抱して下さい」
あの愛宕下あたごしたの宿屋のほうで、太郎と次郎の二人ふたりだけをそばに置いたころは、まだそれでも自由がきいた。腰巾着こしぎんちゃくづきでもなんでも自分の行きたいところへ出かけられた。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)