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弔
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とむろ
ふりがな文庫
“
弔
(
とむろ
)” の例文
いわゆる大和墓に
詣
(
もう
)
でて、平民の霊を
弔
(
とむろ
)
うたが、歴史的懐古の念はようやく考古学的好奇心に変じて、私はいつしか白骨や遺物をいじり始めた。
土塊石片録
(新字新仮名)
/
伊波普猷
(著)
同じく夏ではあったけれども、芭蕉と反対に親しく笠島に実方中将の墓を
弔
(
とむろ
)
うて
触目
(
しょくもく
)
した光景をそのまま言ったのである。
俳句はかく解しかく味う
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
到頭清正公が姿を現しまして、『五郎、気の毒じゃが前世の因果と諦めて呉れ。後は
懇
(
ねんご
)
ろに
弔
(
とむろ
)
うて
遣
(
つかわ
)
すぞ』と申しました。
ぐうたら道中記
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
「たのむ。半兵衛の後生をよう
弔
(
とむろ
)
うてやってくれい。いずこに住もうと、生あるうちには、また会う折があろうが」
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
又亡きあとの菩提を
弔
(
とむろ
)
うてくれたがよいと掻き
口説
(
くど
)
かれたので、自分は母の袖に取り
縋
(
すが
)
って泣き叫び、今母上にお別れ申して此の先どうなる身であろう
聞書抄:第二盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
▼ もっと見る
女たちは涙を流して、こうなり果てて死ぬるからは、世の中に誰一人
菩提
(
ぼだい
)
を
弔
(
とむろ
)
うてくれるものもあるまい、どうぞ思い出したら、一遍の
回向
(
えこう
)
をしてもらいたいと頼んだ。
阿部一族
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
涙ながらに「日本色里の総本家」という昔の誇りを
弔
(
とむろ
)
うて、「
中
(
なか
)
の
町
(
ちょう
)
」「
中堂寺
(
ちゅうどうじ
)
」「
太夫町
(
たゆうまち
)
」「
揚屋町
(
あげやまち
)
」「
下
(
しも
)
の
町
(
ちょう
)
」など、一通りその隅々まで見て歩くのはまだ優しい人で
大菩薩峠:03 壬生と島原の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
領主は国法によって大罪の者を殺すもぜひないが、隠居の自分がその後生を憐れんで供養するはよかろうと、自らいった。日ごろ乗っていた馬が死ねば馬も久昌寺に
弔
(
とむろ
)
うてやった。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
不覚なる者共
哉
(
かな
)
、誠の志があるなら、命を長らえて後世を
弔
(
とむろ
)
うてくれたらよいのに、左様な早まったことをされては、
冥途
(
よみじ
)
の障りとなるばかりである、某とても助けてさえ戴けるなら
聞書抄:第二盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
そのいよいよ秦の国へ入り込もうとする時易水という川で燕丹と別れた。その遺跡として易水を唐の駱賓王が
弔
(
とむろ
)
うた時に、この詩は出来たのである。蕪村はよく唐詩を換骨奪胎して句を作っておる。
俳句はかく解しかく味う
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
愚僧は畜生塚の
傍
(
かたわら
)
に庵を結んで、関白殿の御一族の
菩提
(
ぼだい
)
を
弔
(
とむろ
)
うているのでござりますが、何のために左様な事をしておりますのか、又何のために、治部少輔殿の身内の武士が両眼を失い
聞書抄:第二盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
「無数の
死屍
(
しし
)
を
弔
(
とむろ
)
うて来たせいか、すこし酒気が欲しい」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
足利十五代の悪政のあとを
弔
(
とむろ
)
うてやれ
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
弔
常用漢字
中学
部首:⼸
4画
“弔”を含む語句
弔詞
御弔
弔辞
弔問
弔文
弔慰
弔儀
弔旗
弔合戦
弔歌
弔鐘
弔問客
追弔紀念
往弔
弔辭
弔鐘形
弔香爐
弔魂碑
弔魂祭
弔供養
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