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とふら
盡したれど
定業は
逃れ難く母は
空敷なりにけり兵助の
愁傷大方ならず
然ど
歎て
甲斐無事なれば泣々も野邊の送りより七々四十九日の
法なみもいと
懇ろに
弔ひける。
思ひ我が
亡跡を
弔ひ
呉よ此外に頼み
置事なし汝に
逢ひしも
因縁ならん
疾々見付られぬ
中歸るべし/\我は
未だ
仕殘したる事ありと云ひつゝ
又引窓よりずる/\と
這入り
質物二十餘品を
弔ふこそ誠の
安樂成んとて
幡隨院の弟子となり
剃髮染衣に状を變名を
自貞と改め
淺草今戸に
庵を結び
再法庵と號し母諸共に
行ひ濟し安く浮世を
過せしとかや
庵の壁に
種々の
和歌ありけるが其中に