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廬
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いおり
ふりがな文庫
“
廬
(
いおり
)” の例文
そうして、女たちの刈りとった蓮積み車が、
廬
(
いおり
)
に戻って来ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、当麻の
邑
(
むら
)
の騒ぎの噂である。
死者の書
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
「将軍のお名まえも、
夙
(
つと
)
に伺っておりますが、かくはご軽装で、にわかに彼の
廬
(
いおり
)
をお訪いになるとは、そも、いかなる理ですか」
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あれから三十年、私は父の死後、京都に落着くつもりで下鴨に
廬
(
いおり
)
を結んだ。名づけて守拙廬という。扁額は亡友本田蔭軒君の筆、刻は主人自刀である。
九年母
(新字新仮名)
/
青木正児
(著)
伽藍というよりは仮の
廬
(
いおり
)
と
云
(
い
)
った方がふさわしいくらいだ。三重塔のみがわずかに飛鳥の
面影
(
おもかげ
)
をとどめる。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
子貢のみは
冢
(
つか
)
のほとりに
廬
(
いおり
)
することおよそ六年にして去った。弟子および魯人で冢のあたりに家するもの百有余室、孔里と呼ばれた。魯では世々孔子の冢を
祠
(
まつ
)
った。
孔子
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
▼ もっと見る
その
廬
(
いおり
)
をかえながら、その
廬
(
いおり
)
でただ一人、扇をかざして、舞の工夫をしていたというのであります。
日本の美
(新字新仮名)
/
中井正一
(著)
天正年中絶え果て今は形ばかりなる
廬
(
いおり
)
に大日如来一躯あり云々、平城帝第三の御子、母は贈従三位伊勢朝臣継子、大同の末
春宮
(
とうぐう
)
に坐し世人蹲踞太子と申したてまつる
十二支考:01 虎に関する史話と伝説民俗
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
われわれは五台山の南に
廬
(
いおり
)
を構えていた者でござるが、そのあたりは森も深く、水も深く、
塵俗
(
じんぞく
)
を
中国怪奇小説集:06 宣室志(唐)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
百姓弥之助は、ある日の事、梅を見ようと思って、多摩川の向う岸を歩き、ふと、この地に
閑山
(
かんざん
)
先生が隠棲していることを思い出して、その
廬
(
いおり
)
を叩いて見る気になった。
百姓弥之助の話:01 第一冊 植民地の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
藤村は旅に出て死んだというのじゃないが、自分の庵室の
静
(
しず
)
の
廬
(
いおり
)
を離れて他の地方で死んでいる。宗祇にしても芭蕉にしてもそうじゃないか。みんなああいう人たちは好い死かたをしている。
夢は呼び交す:――黙子覚書――
(新字新仮名)
/
蒲原有明
(著)
麻布に
廬
(
いおり
)
を結び独り
棲
(
す
)
むようになってからの事である。
西瓜
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
廬
(
いおり
)
を結ぶ古城の下
我が人生観:07 (七)芥川賞殺人犯人
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
ここで会ったのは何よりの幸せ、相伴って臥龍先生の
廬
(
いおり
)
を訪おうではないか——と彼がすすめると、石広元は、かぶりをふって
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
宵闇の深くならぬ先に、
廬
(
いおり
)
のまわりは、すっかり手入れがせられて居た。灯台も大きなのを、寺から借りて来て、
煌々
(
こうこう
)
と、
油火
(
あぶらび
)
が燃えて居る。
死者の書
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
「いま先生の
廬
(
いおり
)
をお訪ねして、むなしく戻ってきたところです。計らずもここでお目にかかり、大幸、この上もありません」
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
皆手に手に、張り切って発育した、蓮の茎を抱えて、
廬
(
いおり
)
の前に並んだのには、常々くすりとも笑わぬ
乳母
(
おも
)
たちさえ、腹の皮をよって、切ながった。
死者の書
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
廬
漢検1級
部首:⼴
19画
“廬”を含む語句
廬堂
草廬
出廬
廬遮那
茅廬
廬入野
直廬
阪谷朗廬
廬戸
廬原
廬舎那仏
仮廬
廬山
旧廬
山廬
静廬
廬江
小諸山廬
廬山寺
伝経廬
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