城主じょうしゅ)” の例文
あくる朝、若者わかものがかすりきずひとつうけずに、元気なすがたをあらわしたときには、だれもかれもびっくりしました。若者は城主じょうしゅにむかっていいました。
「真田源次郎どのとおおせあると、上田うえだ城主じょうしゅ真田昌幸さなだまさゆきどののご一、秀吉公の手もとでやしなわれているとうわさにききましたが、その源次郎どのでござるか」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで、灰色ネズミ軍は、ご城主じょうしゅの大きな宴会場えんかいじょうのあった三階へと押し進みました。そこは、さむざむとして、がらんとしていました。古い家にはこうした部屋へやがよくあるものです。
わたくしは——じつ相州そうしゅう荒井あらい城主じょうしゅ三浦道寸みうらどうすんそく荒次郎あらじろう義光よしみつもうものつまだったものにございます。現世げんせ呼名よびな小櫻姫こざくらひめ——時代じだい足利時代あしかがじだい末期まっき——いまからやく四百余年よねんむかしでございます。
そのほうをりっぱなさむらいに取り立ててやりたいと、城主じょうしゅ周防守すおうのかみさまとそうだんしてまいったのだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
城主じょうしゅは、若者わかものがこのことをうまくやりとげたら、じぶんのむすこにしようといいました。
徳川家とくがわけ重臣じゅうしん甲州こうしゅう躑躅つつじさき城主じょうしゅ、大講会総奉行、それらの肩書かたがき威光いこうにきている長安は
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、そのおしろ城主じょうしゅがいいました。