唐崎からさき)” の例文
あれ叡山えいざんです。彼が比良です。彼処あすこう少し湖水に出っぱった所に青黒あおぐろいものが見えましょう——彼が唐崎からさきの松です」
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
唐崎からさきの一ツ松からその辺りは、いちめんにきれいな真砂まさごと松原のなぎさだった。波打際のしぶきを離れるや否、彼はいっさんにその松原へ駈け込んだ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この作業仮説に従えば「唐崎からさきの松は花よりおぼろにて」も、松と花との対立融合によって立派に完結しているので
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その頃は唐崎からさきの松も千年の緑を誇つてゐたのであらう。膳所ぜぜの城もその瓦甍影を水にひたしてゐたであらう。
湖光島影:琵琶湖めぐり (旧字旧仮名) / 近松秋江(著)
殊に一目でそれと知れた唐崎からさきの松も、今は全く枯れ果ててどこが唐崎だか分らなかった。しかし、京都の近郊として一山を開くには、いかにもここは理想的な地だと思った。
比叡 (新字新仮名) / 横光利一(著)
五節の舞い姫は皆とどまって宮中の奉仕をするようとの仰せであったが、いったんは皆退出させて、近江守おうみのかみのは唐崎からさき、摂津守の子は浪速なにわはらいをさせたいと願って自宅へ帰った。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)
春日大明神第一の使者は鹿、第二の使者は猿なり。日吉ひえにも、インド、セイロン同然猴は屍をかくす話行われ、唐崎からさきまで通ずる猿塚なる穴あり、老い果てた猿はこの穴に入りて出ざる由。
一番困つたのは唐崎からさきの雨だつた。名古屋を雨の日に立つと唐崎のはいつもれてゐた。思ひ立つて、やつと三年目に初めて雨の出会でくはす事が出来た。皆は松の下でぐしよ濡れになりながら
唐崎からさきの松は花よりおぼろにて。」と感に堪えたる如くつぶやいた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
唐崎からさきみどり
幸運の黒子 (新字新仮名) / 海野十三(著)
が、三井寺にも唐崎からさきにも——来てみればもう敵は一兵も見えなかった。すべて叡山へ逃げ上ってしまったのである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唐崎からさきはあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅田かただも石山も粟津あわづもすべて判らず。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
光秀様の歌道は、細川藤孝(幽斎ゆうさい)殿と、御姻戚ごいんせきの間がらとなってからは、なおさら、研鑽けんさんの深いものがあり、かつて、滋賀の唐崎からさきに松を植えられて、その折
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あたりは急に騒然とし、坂本、唐崎からさきの遠くにまで、うしおのようなどよめきや飛ぶ火が見えた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この手は、大津から唐崎からさきへの、湖畔へかけて布陣したが、べつな一軍は、叡山の京口、一乗寺下がり松に陣して、そこの表と、搦手からめての湖畔口との、両面包囲のかたちで、迫ったのである。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)