前司ぜんじ)” の例文
主馬しゅのめ判官といわれ最年長の老人。一子越中前司ぜんじ盛俊は、鵯越えで戦死。盛国自身は壇ノ浦で虜となり、鎌倉に曳かれ、後、絶食して死す。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、突然ある日、そのころ筑後ちくご前司ぜんじ小舎人ことねりになっていた弟が、盗人の疑いをかけられて、左のひとやへ入れられたという知らせが来た。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ここはこの二、三年、院のお渡りもなく、備前前司ぜんじ基宗というものが留守居をしていた。この法住寺殿の中では、時ならぬ酒盛が始っていたのである。
小山判官秀朝ひでともや、佐々木入道貞氏や、大和弥六左衛門ノ尉や、長崎四郎左衛門ノ尉や、北条駿河八郎や、宇佐美摂津前司ぜんじや、武田伊豆守や、渋谷遠江守、足利あしかが治部大輔高氏や
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
をひの法師の頼みますには、丹波たんば前司ぜんじなにがしの殿が、あなた様に会はせて頂きたいとか申して居るさうでございます。
六の宮の姫君 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それの大将には大智院ノ宮、弾正ノ尹宮いんのみや洞院とういんノ実世、二条ノ中将為冬など、公卿色がつよく、侍大将では、島津、江田、筑前の前司ぜんじら、二十余家の旗がみえる。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「名古屋の前司ぜんじ候うなり、美福門はわが手にて攻める、余人かならず手出し給うな」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
長崎円喜えんき、金沢ノ大夫たゆう宗顕そうけん佐介さかい前司ぜんじ宗直むねなお、小町の中務なかつかさ秋田あきたじょうすけ、越後守有時ありとき右馬うまかみ茂時しげとき相模さがみ高基たかもと刈田式部かったしきぶ、武蔵の左近将監さこんしょうげんなど、ひと目に余る。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その補佐ほさには。顕家あきいえの父、北畠亜相あそう(親房)、結城宗広。——供には、冷泉少将家房、伊達だてノ蔵人行朝、三河前司ぜんじ親朝、そのほか数千の弓箭きゅうせんが、列の先もかすむばかり流れて行った。
土岐伯耆ほうき、芦名ノ判官、三浦若狭わかさ、千田太郎、じょう大弐だいに結城ゆうき七郎、小田の常陸ノ前司ぜんじ、長江弥六左衛門、長沼駿河守、渋谷遠江守、伊東前司、狩野七郎、宇佐美摂津ノ判官、安保あぼの左衛門
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新田義貞はじめ、武田、塩冶えんや、結城、宇都宮、名和そのほか、これにおる者の手兵だけでも……。いや、雑賀隼人さいかはやと、加賀の前司ぜんじ信宗、土佐守兼光らなど、指を折ればまだまだ多い。味方は万を
海東左近将監かいとうさこんしょうげん、長井丹後守、越後ノ前司ぜんじ貞知さだともなど、およそ二千騎。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのすきに、伊具いぐ越前えちぜん前司ぜんじ宗有むねありが、横から注意をうながした。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)