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出石
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いずし
ふりがな文庫
“
出石
(
いずし
)” の例文
隣藩である宮津の
京極丹後守
(
きょうごくたんごのかみ
)
、
出石
(
いずし
)
の
仙石左京之亮
(
せんごくさきょうのすけ
)
などの家中からも、馬術の名人をすぐって参加させるのが慣例であった。
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また
天日矛
(
あまのひぼこ
)
はこちらへ
渡
(
わた
)
って
来
(
く
)
るときに、りっぱな
玉
(
たま
)
や
鏡
(
かがみ
)
などのいろいろの
宝
(
たから
)
を
八品
(
やしな
)
持
(
も
)
っていましたが、この
宝
(
たから
)
は、
後
(
のち
)
に
但馬国
(
たじまのくに
)
の
出石
(
いずし
)
の
大神
(
おおがみ
)
とまつられました。
赤い玉
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
『
曾呂利
(
そろり
)
物語』四には伊予の
出石
(
いずし
)
の山寺で足利の僧が妖怪を鎮めたとし、主怪をえんひょう坊、客怪をこんかのこねん、けんやのばとう、そんけいが三足、ごんざんのきゅうぼくとす。
十二支考:08 鶏に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
但馬
(
たじま
)
の
出石
(
いずし
)
が城山に東南を
塞
(
ふさ
)
がれ、竹田の町が西を閉されて、窮屈に固まっているのなどはその例である。丹後の舞鶴、奥州の二本松のような、馬蹄形の町もかくのごとくにしてできる。
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
但馬の国
出石
(
いずし
)
の産なので、こじつけの様ではあるが、私が南国にうまれ、其後又琉球、台湾と次第に南へ南へ渡って絶えず朱欒や蜜柑の香気に刺激されつつ成長した事も面白くおもわれる。
朱欒の花のさく頃
(新字新仮名)
/
杉田久女
(著)
▼ もっと見る
「よく申した。其方のことであれば余も大丈夫とは思うているが、実は
出石
(
いずし
)
藩の仙石殿より余に密使が参っているのじゃ——玄蕃、近う寄れ」
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
むかし、
但馬国
(
たじまのくに
)
におまつられになっている
出石
(
いずし
)
の
大神
(
おおがみ
)
のお
女
(
むすめ
)
に、
出石少女
(
いずしおとめ
)
という
大
(
たい
)
そう
美
(
うつく
)
しい
女神
(
めがみ
)
がお
生
(
う
)
まれになりました。この
少女
(
おとめ
)
をいろいろな
神様
(
かみさま
)
がお
嫁
(
よめ
)
にもらおうと
思
(
おも
)
って
争
(
あらそ
)
いました。
春山秋山
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
川の対岸が城崎郡だから、豊岡の方では城崎といいたくなかったのかもしれない。また豊岡へは、
出石
(
いずし
)
の方から来る出石川が少し上流で円山川といっしょになっていて、そこも船便があったらしい。
故郷七十年
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
但馬
(
たじま
)
の
出石
(
いずし
)
村の生れで十歳で
沙弥
(
しゃみ
)
になり、十四歳で
臨済
(
りんざい
)
の勝福寺に入って、
希先
(
きせん
)
和尚に
帰戒
(
きかい
)
をさずけられ、山城の大徳寺からきた
碩学
(
せきがく
)
について、京都や奈良に遊び
宮本武蔵:02 地の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まだ
宥
(
ゆる
)
されまいが、彼の生地が、
但馬
(
たじま
)
の
出石
(
いずし
)
であり、武蔵の郷土が、
美作
(
みまさか
)
の吉野郷で、当時、出石方面から山陽方面へ往来するには、山ひとえの道を、但馬から美作に出て
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
沢庵を
拉
(
らっ
)
して来たのは、あながちまた、
拠
(
よ
)
り
所
(
どころ
)
のないわけでもなく、武蔵の生地と、沢庵の生地但馬の
出石
(
いずし
)
とは、山ひとえの背中合せだし、出石から山陽方面へ往来する旅には
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“出石”の解説
出石(いずし)は、兵庫県豊岡市にある地区で、かつての出石城の城下町。豊岡市出石伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
(出典:Wikipedia)
出
常用漢字
小1
部首:⼐
5画
石
常用漢字
小1
部首:⽯
5画
“出石”で始まる語句
出石人
出石屋
出石川
出石心
出石藩
出石少女
出石心大臣