先考せんこう)” の例文
予の生れし頃(明治十二年なり)先考せんこうは十畳の居間に椅子いす卓子テーブルゑ、冬はストオブに石炭をきてをられたり。
洋服論 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
それだけは手放さなかった先考せんこうの華族大礼服を着こみ、掛けるものがないのでお飯櫃はちに腰をかけ、「一ノ谷」の義経のようになってしゃちこばっていると、そのころ
予言 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
さいわいに母五百は明治十七年までながらえていて、保さんは二十八歳でうしなったのだから、二十六年の久しい間、慈母の口から先考せんこう平生へいぜいを聞くことを得たのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これより先、慶長十五年に幽斎が七十七歳の高齢で歿した時も、三斎は先考せんこうのために一寺を豊前ぶぜんに建立して、沢庵に住持たらんことを懇請している。尤もこれは、沢庵の都合で実現は見なかったが。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しん深くこの恩義に感じてや、先考せんこう館舎をてられし後は、一際ひときわまごころ籠めてわが家のために立ちはたらきぬ。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
十一月枕山は先考せんこう竹渓の遺稿を集めてこれを刻した。文政十年十二月竹渓が没してより三十七年を経ている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
金剛寺坂の中腹には夜ごとわが先考せんこうの肩みに来りし久斎きゅうさいとよぶ按摩あんま住みたり。われかつて卑稿『伝通院でんずういん』と題するものつくりし折には、殊更に久を休につくりたり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
毅堂はそれより三年の後弘化元年某月、その齢二十歳の時、先考せんこうの遺命を奉じて伊勢安濃津あのつに赴き、藤堂家の賓師猪飼敬所いかいけいしょについて主として三礼の講義をいていたのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まくらに聞いたそれらしい響は雨だれのといからあふれ落ちるのであったのかも知れぬ。わたしは最後に先考せんこうの書斎になっていた離れの一間ひとまの杉戸を開けて見た。紫檀したん唐机とうづくえ水晶の文鎮ぶんちん青銅の花瓶黒檀の書架。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)