先塋せんえい)” の例文
享年七十七。牛込原町三丁目専念寺に葬った。大正三年四月に至ってその孫及び有志の人が碑碣ひけつを郷里なる大藤村慈雲寺先塋せんえいの側に建てたという。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
貞固さだかたは月に数度浅草黒船町くろふねちょう正覚寺しょうかくじ先塋せんえいもうでて、帰途には必ず渋江氏を訪い、五百と昔を談じた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
先生の宿志しゆくし、ここにおいてか足れり。すでにしてきやうかへり、即日、ところ瑞龍山ずゐりゆうざん先塋せんえいかたはらさうし、歴任れきにん衣冠魚帯いくわんぎよたいうづめ、すなはち封し載ちし、自ら題して、梅里先生ばいりせんせいはかふ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枳園は音羽おとわ洞雲寺どううんじ先塋せんえいに葬られたが、この寺は大正二年八月に巣鴨村すがもむら池袋いけぶくろ丸山まるやま千六百五番地にうつされた。池袋停車場の西十町ばかりで、府立師範学校の西北、祥雲寺しょううんじの隣である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
いずれも谷中墓地先塋せんえいの側に葬られた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
墓は願行寺先塋せんえいの中にある。竜池の師、静廬もこの年八十三歳で歿した。寿阿弥曇奝じゅあみどんちょうの歿したのも同年である。寿阿弥と竜池父子とは相識ではあっただろうが、そのまじわり奈何いかんつまびらかにしない。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
法諡はふしを幽林院岱翁良椿たいをうりやうちん居士と云ふ。長谷寺の先塋せんえいに葬られた。新しい分家には四十一歳の養孫信階、三十五歳の其妻、八歳の蘭軒を遺した。又宗家に於ては孫信美が已に二歳の曾孫信全のぶかねを設けてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)