“せいよう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
西洋70.6%
盛庸5.9%
世用5.9%
政陽5.9%
青蠅5.9%
青陽5.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
それで、私共わたしどもは、これから西洋せいようやその外國がいこくのものはこれだけにして、日本につぽん石器時代せつきじだいからのふる品物しなものくことにいたしませう。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
呉傑ごけつ平安へいあんは、盛庸せいようの軍をたすけんとして、真定しんていより兵を率いてでしが、及ばざること八十里にして庸の敗れしことを聞きて還りぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
燕王ついまた師をひきいてづ。諸将士をさとして曰く、たたかいの道、死をおそるゝ者は必ず死し、せいつる者は必ず生く、なんじ努力せよと。三月、盛庸せいよう來河きょうがう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
先生ハ博学ニシテ詩ヲ善クス。好ンデ辺事ヲ研覈けんかくシ以テ世用せいようねがヒシガソノ才ヲおわラズシテ没セリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
政陽せいよう郡の東南に法喜寺ほうきじという寺があって、まさに渭水いすいの西に当っていた。唐の元和げんなの末年に、その寺の僧がしばしば同じ夢をみた。
はえといえば下らぬ者の上無しで、漢の班固をして、青蠅せいようは肉汁を好んでおぼれ死することを致す、と笑わしめた程の者であるが
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
世に青陽せいようの春が訪れ、磯吹き渡る風も和やかに、陽の光も長閑のどかにはなってゆくが、ここの平家は氷に閉じ籠められた気がして、とても心のどけき春などという心境とは遥かに遠いものがあった。