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おそれおほ
流し斯る
卑き
賤の
女が
腰折も和歌の
徳とて
恐多くも
關白殿下へ聽えしも有難さ云ん方なきに況てや十
善萬
乘の君より御
宸筆とはと云つゝ前へがツくり
平伏致すと思ひしに
早晩死果居たりしとぞ依て
遺骸は
洛外壬生の
法輪寺に
葬り今におかち女の
墳同寺にありて此
和歌殘けるとかや
何とも
恐多い
事ではござりますが、
御新造樣に
一つお
願があつて
罷出ましてござります、へい。
相模守として鎌倉に在つた尊氏の弟
直義は、敗れて鎌倉を脱出するとき、
畏くも護良親王を
弑し奉つた。これが、足利氏の悪逆の最初である。