馬来マレイ)” の例文
此処ここのアラビヤ族の黒奴くろんぼ馬来マレイ印度インドのに比して一層毒毒どくどくしい紫黒色しこくしよくをして居て、肉も血も骨までも茄子なすびの色を持つて居さうに想はれる。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
もっとも、この頃の日本も日本でございますが、しかし、馬来マレイ暹羅シャムの方では中国人も此の頃ではなかなか困難になって来ております。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
それはわたしの留学中に新聞に掲載された本田博士はくしの南洋及び中国視察談である。この博士は支那語も馬来マレイ語もわからなかった。
頭髪の故事 (新字新仮名) / 魯迅(著)
アソという語は馬来マレイ語の烟を意味する言葉で、阿蘇浅間は皆同一語原から来たものであるというような記事を何かで読んだことがあると覚えている。
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
大東亜戦争が始まり、ハワイ海戦や馬来マレイ沖海戦の報を聞いた時も、三造のまず思ったのは、この伯父のことであった。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ウォレェス博士の『馬来マレイ多島海記』の中には、幾度となく花がない、鳥や蝶があまりに少ないと歎息している。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この樹は、小喬木せうけうぼくで、樹形は円錘ゑんすゐ状、葉は大形、対生、長楕円形、革質、馬来マレイが原産地である。成長が非常に遅く、結実するまでには、九年から十年を要する。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
馬来マレイ半島にヅリヤンといふ果物のある事は、一度でも船で那処あすこを通つた事のある人は皆知つてゐる筈だ。
支那人だの馬来マレイだのハワイアンだの印度インドだの、西班牙スペインだの伊大公デイゴだの91——9+1=10で猶太ジュウ——だのと「その他多勢」いろいろと紛らわしいやつが出没しているから
各方面から入れまじって来た、各人種の心理的特徴をも、併せて現わしておりますので、一口に日本と申しましても、その骨相と性格の中には、蒙古もうこ印度インド馬来マレイ猶太ユダヤ拉甸ラテン、アイヌ
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
荒く組んだいかだを操って行く馬来マレイの子供。やはり都の河のおもかげを備えている。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
一本のから一日におよそ一ポンドの採収が出来ると云ふのが真実ほんとうなら大した利益のあるはずである。人夫には馬来マレイ人と支那人を使用して居る。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
その何より印度を苦しめている安全弁は、事実上、シンガポールを中心として生活している馬来マレイ半島の中国人です。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
靴をはいてるのが欧羅巴ヨーロッパ人で、跣足はだしで歩いてるのが印度インド人。天鷲絨ビロウドの骸骨頭巾は馬来マレイ人だ。
現に馬来マレイ語でもアピと唱えている、国語のヒ(火)もこれから生れたものである。
二、三の山名について (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
いままでに色々な難関を通つて来られて、荒野に光をもたらす為に、日本に辿たどりつかれた方ですな。——長い間、馬来マレイやビルマ方面に陸軍の参謀としても勇名をとゞろかした人物でね。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
名物男のガイドでシイ・※イ・ホテルの客引を兼ねた馬来マレイ人メラメデインが鈴木鼓村こそんに酷似した風采ふうさいをして見物を勧めに来る。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
ペルシャも印度もアフガニスタンも馬来マレイも、中国を毒殺するために使用されているのと同様です。あたくしたち中国人は今日こそ本当に反抗しなければなりませんわ。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
今此町には加茂の神の社はないが、昔はしかしあったものと考える。加茂はチアム語のハモで稲圃を意味する。現に馬来マレイ語では陸稲のことをフマというている。加茂の神は即ち稲圃の大神である。
二、三の山名について (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
支那街と馬来マレイ芝居と支那映画「愛国魂」五巻。「打倒日本主義」の貼紙。孫中山ちゅうざん先生の肖像。土人の水上生活。済民学校。適南学校。トモエ自動車商会。鍼灸揉療治所。御料理仕出し「みさを」。