おびと)” の例文
また伊勢の大鹿おほかおびとが女、小熊をくま子の郎女に娶ひて、生みませる御子、布斗ふと比賣の命、次に寶の王、またの名は糠代ぬかで比賣の王二柱。
これが吉野おびとの祖先だと古事記に書いてある。その井戸が今も残っている。
おびとはすなわち大人おおびとで、その首長であることを示し、造はすなわち御奴みやつこで、これを統率して天皇に仕え奉る臣隷であることを示している。そしてその部下のものは、実に間人階級にいたものであった。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
この尊像は、司馬くらつくりおびと、止利仏師をして造らしめたのである。〕
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
また伊勢のオホカのおびとの女のヲクマコの郎女と結婚してお生みになつた御子はフト姫の命・タカラの王、またの名はヌカデ姫の王のお二方です。
文武天皇は二十五で夭折ようせつした。皇子おびとは幼少であったから、その生長をまつまで、文武天皇の母(草壁皇子の妃)が帝位についた。元明天皇である。天智天皇の娘であり、持統天皇の妹であった。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
ここにその足名椎の神をしてりたまはく、「いましをば我が宮のおびとけむ」と告りたまひ、また名を稻田いなだ宮主みやぬし須賀すが八耳やつみみの神と負せたまひき。
その孃子は、菟田うだおびと等が女、名は大魚おほをといへり、ここに袁祁の命も歌垣に立たしき。ここに志毘の臣歌ひて曰ひしく
次にタケカヒコの王は、讚岐の綾の君・伊勢の別・登袁とおの別・麻佐のおびと・宮の首の別等の祖先です。アシカガミワケの王は、鎌倉の別・小津の石代いわしろの別・漁田すなきだの別の祖先です。