長安ちょうあん)” の例文
このうち抽斎の最も親しくなったのは茝庭である。それから師伊沢蘭軒の長男榛軒しんけんもほぼ同じ親しさの友となった。榛軒、通称は長安ちょうあん、後一安いちあんと改めた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
劉根りゅうこんあざな君安くんあんといい、長安ちょうあんの人である。漢の成帝せいていのときに嵩山すうざんに入って異人に仙術を伝えられ、遂にその秘訣を得て、心のままに鬼を使うことが出来るようになった。
かつて長安ちょうあん都下の悪少年だった男だが、前夜斥候せっこう上の手抜かりについて校尉こうい成安侯せいあんこう韓延年かんえんねんのために衆人の前で面罵めんばされ、むち打たれた。それを含んでこの挙に出たのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「黄河の西、長安ちょうあんの古都の北、なにせい、旅はやさしくはありません。ご辛抱くださいませ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
隋の煬帝ようだい長安ちょうあん顕仁宮けんじんきゅういとなむや河南かなん済渠さいきょを開きつつみに柳を植うる事一千三百里という。
この絵は宋初そうしょのものとされているので、本当の玄奘三蔵げんじょうさんぞう法師が、とう太宗たいそう貞観じょうがん三年に長安ちょうあんの都を辞して、遥々はるばる印度への旅についた頃から見ると、三百年くらいも後に描かれたことになる。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
九月に北へ立った五千の漢軍かんぐんは、十一月にはいって、疲れ傷ついて将を失った四百足らずの敗兵となって辺塞へんさい辿たどりついた。敗報はただちに駅伝えきでんをもって長安ちょうあんの都に達した。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
唐の長安ちょうあん雲花寺うんげじに聖画殿があって、世にそれを七聖画と呼んでいる。
かかる大動員をもって大戦にのぞまれなば、おそらく洛陽らくよう長安ちょうあん以来の惨禍を世に捲き起しましょう。さる時には、多くの兵を損い、民を苦しめ、天下の怨嗟えんさは挙げて丞相にかかるやも知れません。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その児の顔に見入りながら、数年前長安ちょうあんに残してきた——そして結局母や祖母とともに殺されてしまった——子供のおもかげをふと思いうかべて李陵は我しらず憮然ぶぜんとするのであった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「ひと思いに、洛陽らくようの地を捨て長安ちょうあんへ都をおうつしになることです」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、おれは、己の詩集が長安ちょうあん風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟がんくつの中に横たわって見る夢にだよ。
山月記 (新字新仮名) / 中島敦(著)