邑里ゆうり)” の例文
皇祖天皇が始めてなかくに御遷おうつりなされた時には、すでにそれ以前からの来住者の、邑里ゆうりし各々首長を戴いている者が少なくなかった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
往反ノ者ノ路ニしたがラザルハナシ矣、ノ俗天下ニ女色ヲてらヒ売ル者、老少提結シ、邑里ゆうり相望ミ、舟ヲ門前につなギ、客ヲ河中ニチ、わかキ者ハ脂粉謌咲かしょうシテ以テ人心ヲまどハシ
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
大風たいふう颯々さっさつたる、怒濤どとう澎湃ほうはいたる、飛瀑ひばく※々かくかくたる、あるいは洪水天にとうして邑里ゆうり蕩流とうりゅうし、あるいは両軍相接して弾丸雨注うちゅうし、艨艟もうどう相交りて水雷海をかすが如き、皆雄渾ならざるはなし。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
およそ尋常邑里ゆうりの生存において予知すべからざる危難は、ことごとく自ら責め深く慎むべき理由としてこれを認めたのが山民の信仰であった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そうしてすべてに共通しているのは、海に沿うた村では海へ、海なき邑里ゆうりでは川筋へ、送り流すという一事だけである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
貯穀管理に力を入れたマヂンの方式がすでに普及し、かつ信仰を基柢きていとした古風の稲栽培が、次々と主要なる邑里ゆうりの周囲から消え去ったからである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それが表山にある邑里ゆうりよりも後に、たいていはそこから分れて往った者であることは、なんらの言い伝えはなくとも、地名がその歴史を伝えているのである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
マメが邑里ゆうりの生活に何よりも大事なことは異存がない。ただネブタを災厄さいやくとして放ちてようというのは如何と、カルモチン常用者輩は一斉いっせいに批難するかも知れない。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この一語の成立は島の統一以前、三山割拠かっきょよりもさらに前の頃にあったかと思われ、個々の邑里ゆうり按司あじぬしまでを、テダとたたえていた例が「おもろ」の中には見出される。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)