みやつこ)” の例文
ここに出雲いづもくにみやつこの祖、名は岐比佐都美きひさつみ、青葉の山をかざりて、その河下に立てて、大御食おほみあへ獻らむとする時に、その御子詔りたまはく
さうして、毎月頻繁に氏の神其外の神々を祭つて、其度に、家の語部かたりべ大伴ノ語ノみやつこおむなたちを呼んで、之に捉へやうもない大昔の物語をさせて、氏人に傾聴を強ひて居る。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
神武以来、国にみやつこがあり、県にかばねがあつた。それらは、朝廷がえらんだ人であつたが、ふるくからの人望によつて、その職を代々うけついできたものも、すくなくなかつた。
これは出雲の國のみやつこ・ムザシの國の造・カミツウナカミの國の造・シモツウナカミの國の造・イジムの國の造・津島のあがたあたえ遠江とおとおみの國の造たちの祖先です。
またはたみやつこの祖、あやあたへの祖、またみきむことを知れる人、名は仁番にほ、またの名は須須許理すすこり等、まゐ渡り來つ。かれこの須須許理、大御酒をみて獻りき。
かくて尾張の國においでになつて、尾張の國のみやつこの祖先のミヤズ姫の家へおはいりになりました。
また木のくにみやつこの祖先のウヅ彦の妹のヤマシタカゲ姫と結婚して生んだ子はタケシウチの宿禰です。このタケシウチの宿禰の子は合わせて九にんあります。男七人女二人です。
またくにみやつこが祖、宇豆比古うづひこが妹、山下影やましたかげ日賣に娶ひて、生みませる子、建内たけしうち宿禰すくね