辺幅へんぷく)” の例文
旧字:邊幅
気の毒がり今少し辺幅へんぷくを整えるようにふうする者があったけれども耳にもかけなかったそして今もなお門弟達が彼を「お師匠さん」と呼ぶことを
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
榛軒は辺幅へんぷくおさめなかった。渋江の家をうに、踊りつつ玄関からって、居間の戸の外から声を掛けた。自らうなぎあつらえて置いて来て、かゆ所望しょもうすることもあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
辺幅へんぷくを修めない、質素な人の、住居すまいが芝の高輪たかなわにあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所在地まで徒歩するのがならいであったが
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
が、同時に政治家型の辺幅へんぷく衒気げんき倨傲きょごうやニコポンは薬にしたくもなかった。君子とすると覇気はきがあり過ぎた。豪傑とすると神経過敏であった。実際家とするには理想が勝ち過ぎていた。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
辺幅へんぷくを飾らず、器量争わず、人をあざわらわず、率直に「私」を語る心こそ詩人のものだと思います。僕の好きな一人の詩人の名を云ってみましょうか。ハンス・クリスティアン・アンデルセン。
わが師への書 (新字新仮名) / 小山清(著)
学者にしてくの如き性行を有するものは往々誤って辺幅へんぷくおさむるものと見なされやすい。毅堂はまた甚しく癇癖かんぺきの強い人であったので、ややもすると家人に対しても温辞をくことがあった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その必要からして、官報局を罷めた後の二葉亭は俄に辺幅へんぷくを飾るようになった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
しからザレバ鳥啼ちょうてい虫吟ちゅうぎん沾沾ちょうちょうトシテみずかラ喜ビ佳処かしょアリトイヘドモ辺幅へんぷく固已もとヨリ狭シ。人ニ郷党自好じこうノ士アリ。詩ニモマタ郷党自好ノ詩アリ。桓寛かんかんガ『塩鉄論えんてつろん』ニ曰ク鄙儒ひじゅ都士としカズト。信ズベシ矣。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)