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質
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ち
ふりがな文庫
“
質
(
ち
)” の例文
柳営で高時から難題を出された日も、また出陣の朝、千寿王を
質
(
ち
)
として残してきたときも、こうまで情愛のうろたえは覚えなかった。
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかし藩の必ずこれを
阻格
(
そかく
)
すべきことは、母子皆これを知っていた。
約
(
つづ
)
めて言えば、弘前を去る成善には母を
質
(
ち
)
とするに似た
恨
(
うらみ
)
があった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
先頃から徳川殿の内意により、諸家にむかって、御当家へなした同じ
要請
(
ようせい
)
をして廻ったが、貴殿のようにあッさり
質
(
ち
)
をさし出した者はほとんどない。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もしそうでないものなら、四十四年の久しい間に、
質
(
ち
)
を勝久に
委
(
ゆだ
)
ねた幾百人の中で、
能
(
よ
)
く名取の班に列するものが独り七、八人のみではなかったであろう。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
「申しあげ難い使いですが、主君の仰せどおりにお伝えする。——御嫡子おひと方を
質
(
ち
)
として、直ちに、徳川家へお渡しあるようにとのことでござった」
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
(三人の子を、敵国の
質
(
ち
)
に捨て去るも、この国土をまもり、幾万の将士を救い得れば、自分の
希
(
ねが
)
うところである)
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三 信雄は、一族の
織田長益
(
おだながます
)
や
滝川雄利
(
たきがわかつとし
)
、
佐久間正勝
(
さくままさかつ
)
、故
中川雄忠
(
なかがわかつただ
)
の子か母などを、
質
(
ち
)
として、差し出すこと。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
新介はすでに討死なしたるものと思し召され、この身を筒井家の
質
(
ち
)
となし、即刻、和議をお講じ下さい。
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
有効につかってみせる。およそ大望のおん大事には、あまたな
贄
(
にえ
)
が——
人柱
(
ひとばしら
)
というものが——
要
(
い
)
るものだ。すでに殿のご正室やお子たちすらも、鎌倉表に幕府の
質
(
ち
)
とされておる
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そうした深い関係から、信長の亡きのちも、信雄にたいしては、主従の礼節をすてるわけにゆかず、嫡男の紀伊守
之助
(
ゆきすけ
)
は、昨年以来、
質
(
ち
)
として、信雄のいる伊勢の長島へ
遣
(
や
)
ってある。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
石川数正の子、
勝千代
(
かつちよ
)
。
本多重次
(
ほんだしげつぐ
)
の子、
仙千代
(
せんちよ
)
などを、
質
(
ち
)
として差しよこすこと。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
拙者
(
せっしゃ
)
は
大坂城
(
おおさかじょう
)
に
質
(
ち
)
としておる
真田源次郎
(
さなだげんじろう
)
という
若輩者
(
じゃくはいもの
)
、どうかお
見知
(
みし
)
りおきを」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
伊豆山には、もうひとりの庶子の竹若が
質
(
ち
)
となっている。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「お。鎌倉の
質
(
ち
)
といえば」
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
質
常用漢字
小5
部首:⾙
15画
“質”を含む語句
性質
僂麻質斯
気質
質問
質素
品質
生質
質朴
氣質
言質
質子
物質
質物
本質
地質
素質
膠質
商人気質
木質
質屋
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