賀茂真淵かものまぶち)” の例文
旧字:賀茂眞淵
賀茂真淵かものまぶち大人うしは、是も東西の各地にある丹生にふという地名を、同じ例に加えようとせられたが、それには本居もとおり氏がまず同意をしなかった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
賀茂真淵かものまぶち荷田春満かだのあずままろの説にり、「皇」の下に「女」を補って、「中皇女命なかつひめみこのみこと」とみ、舒明天皇の皇女で、のち、孝徳天皇の后に立ちたもうた間人はしびと皇后だとし
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
昔より伝へられたる数十百の歌集の中にてもっとも善き歌を多く集めたるは何の集ぞ、と問はん時、そは『万葉集』なり、と答へん者賀茂真淵かものまぶちを始め三、四人もあるべきか。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
しかし一般にいい出されたのは賀茂真淵かものまぶちがほめてからであり、更には正岡子規まさおかしきがほめてからである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
新しいやしろを建てる。荷田春満かだのあずままろ賀茂真淵かものまぶち、本居宣長、平田篤胤、この国学四大人の御霊代みたましろを置く。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのことは賀茂真淵かものまぶちの弟子の加藤美樹かとううまきの説として『古言梯こげんてい』の初めに出ております。
古代国語の音韻に就いて (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
賀茂真淵かものまぶち直系の国学者で幕府旗本の士である加藤宇万伎うまきつたが、この師は彼の一生のうちで、一番敬崇を運び、この師の歿ぼっするまで十一年間彼は、この師に親しみを続けて来たほどである。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
万葉にはまれにこういう老人の恋の歌もあるのは、人間の実際を虚偽なく詠歎したのが残っているので、賀茂真淵かものまぶちが、「いにしへの世の歌は人の真心なり」云々うんぬんというのは
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
賀茂真淵かものまぶちから本居宣長、本居宣長から平田篤胤と、諸大人のけ継ぎ承け継ぎして来たものを消えない学問の燈火ともしびにたとえるなら、彼は木曾のような深い山の中に住みながらも
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
本居宣長もとおりのりながなどもなかなか感心して『草庵集玉箒たまははき』という註釈(『本居宣長全集』第十三巻所収)を作ったりしたために、師の賀茂真淵かものまぶちからひどく叱られたりしている、評判の歌集で
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
荷田春満かだのあずままろ賀茂真淵かものまぶち本居宣長もとおりのりなが、平田篤胤、それらの国学四大人の御霊代みたましろを安置する空前の勧請遷宮式かんじょうせんぐうしきが山吹村の条山じょうざんで行なわれることになって、すでにその日取りまで定まったからで。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
賀茂真淵かものまぶちが、この歌を模倣して、「信濃なる菅の荒野を飛ぶわしつばさもたわに吹くあらしかな」とんだが、未だ万葉調になり得なかった。「吹く嵐かな」などという弱い結句は万葉には絶対に無い。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
あの賀茂真淵かものまぶちあたりまでは、まだそれでもおもに万葉を探ることであった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)