藤村とうそん)” の例文
明治の新体詩というものも、藤村とうそん時代の成果を結ぶまでに長い時日がかかっており、初期のものは全く幼稚で見るに耐えないものであった。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
お君さんのいる二階には、造花の百合ゆりや、「藤村とうそん詩集」や、ラファエルのマドンナの写真のほかにも、自炊じすい生活に必要な、台所道具が並んでいる。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
血したたるが如き紅葉もみじの大いなる枝を肩にかついで、下腹部を殊更ことさらに前へつき出し、ぶらぶら歩いて、君、誰にも言っちゃいけないよ、藤村とうそん先生ね、あの人
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
亡くなった大貫と木村荘太とか藤村とうそん党で、よく藤村氏を代地の家に訪ねた。後藤は荷風かふう党で、永井君の小説を真似た。和辻は日本の「アンナ・カレニナ」を計画した。
芝、麻布 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
まず藤村とうそんがおもかげに立つ。鶴見が藤村をはじめてたずねたのは、『落梅集らくばいしゅう』が出る少し前であったかと思う。そう思うと同時に、種々雑多な記憶がむらがってよみがえってくる。
藤村とうそんの『破戒はかい』という小説をかって来ました。今三分一ほどよみかけた。風変りで文句などを飾って居ない所と真面目で脂粉の気がない所が気に入りました。何やら蚊やら以上。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
露伴、藤村とうそん、鏡花、秋声等、昭和時代まで生存していた諸作家は別として、僅かに一、二回の面識があった人々は、この外に鴎外おうがいびん魯庵ろあん天外てんがい泡鳴ほうめい青果せいか武郎たけおくらいなものである。
文壇昔ばなし (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
この話を東京にかえってきて、島崎藤村とうそん君にしたことが私にはよい記念である。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
初めて私藤村とうそん様の外に詩をなされ候かた沢山日本におありと知りしに候。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
久保はいろいろな手段で蒐集した藤村とうそんの短冊など見せた。
一本の花 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
即ち人の知る如く、初期に於ける我が国の自然主義は、独歩どっぽ二葉亭ふたばてい藤村とうそん啄木たくぼく等によって代表され、詩的精神の極めて強調されたものであった。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
キリスト教の匂いの強い学校も多く、明治文人の岩野泡鳴ほうめいというひとも若い頃ここの東北学院に学んで聖書教育を受けたようだし、また島崎藤村とうそんも明治二十九年
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
(と云ふ意味は必しも詩を書いてゐたと云ふことではない。)しかも島崎藤村とうそん氏や田山花袋くわたい氏と異る詩人だつた。大河に近い田山氏の詩は彼の中に求められない。
不如帰ほととぎす」「藤村とうそん詩集」「松井須磨子まついすまこの一生」「新朝顔日記」「カルメン」「高い山から谷底見れば」——あとは婦人雑誌が七八冊あるばかりで、残念ながらおれの小説集などは
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)