なや)” の例文
唯ひとり、揺籃の底になやむでゐる己の額に、やがては稲妻も十字を投げるだらうか。いま一筋荒々しく乗りこんでくる歌声をきかう。
逸見猶吉詩集 (新字旧仮名) / 逸見猶吉(著)
さては奇特の人ありけり、これもこれなやみ多き世路をすくわん菩提心の一つ、暫く御報謝にありつかんと、与八は戸を押してみると、容易たやすくあいた。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかし此資料はわたくしをして頗る整理になやましめる。わたくしは已むことを得ずして一種の序次なき序次を立てた。そして先づ年中行事より筆を著ける。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
が、二葉亭の一生はこれらの二君に比べると更に一層意味のある近代的の悶えとなやみの歴史であった。
また秀吉の時代に切った吉野川は昔は大阪の裏を流れておって人民をなやましたのを、堺と住吉の間に開鑿かいさくしまして、それがために大和川の水害というものがなくなって
後世への最大遺物 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
たのみは妻子にあらずして、寄辺よるべは父母にあらぬなり、何かのなやみを忍びつつ、成功いさおに進む我が心
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
いまにわかに、そなたが動き出したら、抜目のない三斎、何となく危さを感じて、他国者なぞ、身近く寄せるようなことはせなくなるぞ。まず、じっとこらえて、存分に彼等をなやます策を
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
窮屈げになやんでいるのを、まだ不審がる気か。
こういう家庭に関聯かんれんした道徳上及び物質上の難関にくるしみつつある一方には硯友社よりはむしろ『文学界』同人としたしんで生にもだゆる詩人のなやみに共鳴し、一方にはまた
少し目の慣れるまで、歩きなやんだ夕闇ゆうやみの田圃道には、道端みちばたの草の蔭でこおろぎかすかに鳴き出していた。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
シナ兵の中にはせた青い顔をして居る奴が随分多い。チベット兵士にはそんなのは少ないがしかし気概は持って居らない。これは大方収入が少なくて活計向くらしむきに心をなやますからであろうと思われる。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
冷かに、糾紛せる霊のなやめる
秩禄二百俵、役料二百俵、合計四百俵の収入があつたのに、屡財政になやむことがあつたらしい。此の如き時、先生は金を借りた。しかし期に至つて還すことをば怠らなかつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
かつこの自伝の断片は明治二十二年ごろの手記であるが、自ら「当時の余の心状は卑劣なりしなり」と明らさまに書く処に二葉亭の一生鞭撻べんたつしてやまなかった心のなやみが見えておる。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
茶山ははしなく、漸く江戸に馴れて移住してもよいと云ふ河崎良佐りやうさと、猶江戸を畏れつゝ往反になやむ老を歎く自己とを比較して見た。そして到底奈何いかんともすべからずと云ふにをはつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)