浮舟うきふね)” の例文
かつてわたしは、紫式部が、いろいろな女性を書いて来た後に、手習てならいきみ——浮舟うきふねを書いたことに、なんとなく心をひかれていた。
浮舟うきふねのことをくわしく聞こうとあそばすと、そのずっと前から煩悶はんもんをし続けていたこと、その前夜にひどく泣いたことなどを言い
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
夕顔ゆうがお浮舟うきふね、——そう云った自分の境界にちかい、美しい女達の不しあわせな運命の中に、少女は好んで自分を見出していた。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
更科日記さらしなにっきにすでに浮舟うきふねの姫君のことがいわれているが、更科日記は後年になって少女時代からのことを書き出したものであるから、多少覚え違いがあるかもしれない。
其の年の秋までに謀策たくみ仕遂しおおせるのに一番むずかしいものは、浮舟うきふねという老女で年は五十四で、男優おとこまさりの尋常ひとゝおりならんものがいて居ります。此者これを手に入れんければなりません。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
蓮華れんげ浮舟うきふね
海豹と雲 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
こんな年のいった人たちさえ音楽の道を楽しんでいるのを見るおりおりに浮舟うきふねの姫君はあわれな過去の自身が思い出されるのであった。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
更級日記さらしなにっき』の著者は、東国の田舎いなかにいた娘の時代から文学書を読んで、どうか女に生れた上は『源氏物語』の夕顔ゆうがお浮舟うきふねのような美しい女になって少時しばらくでも光源氏ひかるげんじのようななさけある男に思われたいと
離婚について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
宇治の山荘では浮舟うきふねの姫君の姿のなくなったことに驚き、いろいろと捜し求めるのに努めたが、何のかいもなかった。
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
以前の阿闍梨あじゃりも今は律師になっていた。その人を呼び寄せて浮舟うきふねの法事のことを大将は指図さしずしていた。念仏の僧の数を増させることなども命じたのであった。
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
小野では深くしげった夏山に向かい、流れのほたるだけを昔に似たものと慰めに見ている浮舟うきふねの姫君であったが
源氏物語:56 夢の浮橋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
もう死ぬ覚悟をしている自分とも知らずに、こんなに心をつかっているかと浮舟うきふねは母の愛を悲しく思った。寺へその使いをやった間に、母への返事を姫君は書くのであった。
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
とだけ言っても、世をいとうように人を厭うたという言葉について浮舟うきふねは何も答えなかった。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
願わぬことにもかかわらず変わった姿を見つけられた時の恥ずかしさはどうであろうと浮舟うきふねは煩悶して、もともと弱々しい性質のこの人はなすことも知らないふうになっていた。
源氏物語:56 夢の浮橋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
正面からではないが薫がほのめかして来たことで浮舟うきふねの煩悶はまたふえた。とうとう自分は恥さらしな女になってしまうのであろうといっそう悲しがっているところへ右近が来て
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
薫は一周忌の仏事を営み、はかない結末になったものであると浮舟うきふねを悲しんだ。あの常陸守の子で仕官していたのは蔵人くろうどにしてやり、自身の右近衛府うこんえふ将監しょうげんをも兼ねさせてやった。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
対岸に着いた時、船からお上がりになるのに、浮舟うきふねの姫君を人に抱かせることは心苦しくて、宮が御自身でおかかえになり、そしてまた人が横から宮のお身体からだをささえて行くのであった。
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)