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武田勝頼
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たけだかつより
ふりがな文庫
“
武田勝頼
(
たけだかつより
)” の例文
そのうちのひとりは、たしかに、
武田勝頼
(
たけだかつより
)
にそういないから、すぐこのことを、
呂宋兵衛
(
るそんべえ
)
さまにお知らせもうせという蚕婆からの
言伝
(
ことづて
)
なんで
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
望月
(
もちづき
)
の
夜
(
よ
)
である。
甲斐
(
かい
)
の
武田勝頼
(
たけだかつより
)
が甘利
四郎三郎
(
しろさぶろう
)
を
城番
(
じょうばん
)
に
籠
(
こ
)
めた
遠江国榛原郡小山
(
とおとうみのくにはいばらごおりこやま
)
の城で、月見の
宴
(
えん
)
が
催
(
もよお
)
されている。
佐橋甚五郎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
またむかし
武田勝頼
(
たけだかつより
)
が
三河
(
みかわ
)
の
長篠城
(
ながしのじょう
)
を囲み、城中
食
(
しょく
)
尽
(
つ
)
きもはや
旬日
(
じゅんじつ
)
を支え得なかった時、
鳥居強右衛門
(
とりいすねえもん
)
が
万苦
(
ばんく
)
を
冒
(
おか
)
して重囲を
潜
(
くぐ
)
り、
徳川家康
(
とくがわいえやす
)
に
見
(
まみ
)
えて救いを乞い
自警録
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
漢
(
かん
)
の
高祖
(
こうそ
)
が
丁公
(
ていこう
)
を
戮
(
りく
)
し、
清
(
しん
)
の
康煕
(
こうき
)
帝が
明
(
みん
)
末の
遺臣
(
いしん
)
を
擯斥
(
ひんせき
)
し、日本にては
織田信長
(
おだのぶなが
)
が
武田勝頼
(
たけだかつより
)
の
奸臣
(
かんしん
)
、すなわちその主人を織田に売らんとしたる
小山田義国
(
おやまだよしくに
)
の
輩
(
はい
)
を
誅
(
ちゅう
)
し
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
これが私の劇作の舞台に
上
(
のぼ
)
せられた第二回目で、作者自身が
武田勝頼
(
たけだかつより
)
に扮するつもりであったが、その当時わたしは東京日日新聞社に籍を置いていたので、社内からは種々の苦情が出たのに
辟易
(
へきえき
)
して
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
「その老人は甲州浪人の成れの果てで、かつては
武田勝頼
(
たけだかつより
)
殿に仕えた者とやら。その人の物語った事じゃが、信州黒姫山の麓には、竹流しの黄金がおおよそ五百貫目ばかり、各所に分けて隠して有るという事でのう」
怪異黒姫おろし
(新字新仮名)
/
江見水蔭
(著)
中にはさんでいく一
挺
(
ちょう
)
の
鎖駕籠
(
くさりかご
)
は——まさしく、
桑名
(
くわな
)
の
羽柴秀吉
(
はしばひでよし
)
へおくらんとする
貴人
(
きじん
)
の
僧形
(
そうぎょう
)
、
武田勝頼
(
たけだかつより
)
が
幽囚
(
ゆうしゅう
)
されているものと見られる。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
穴山梅雪入道は、事実、かれのいうとおり、ついこのあいだまでは、
武田勝頼
(
たけだかつより
)
の無二の者とたのまれていた武将であった。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
武
常用漢字
小5
部首:⽌
8画
田
常用漢字
小1
部首:⽥
5画
勝
常用漢字
小3
部首:⼒
12画
頼
常用漢字
中学
部首:⾴
16画
“武田”で始まる語句
武田
武田信玄
武田耕雲斎
武田菱
武田家
武田伊那丸
武田伊那丸君
武田方
武田屋
武田信賢