武昌ぶしょう)” の例文
東晋の咸康かんこう年中に、州の刺史毛宝ししもうほうしゅの城を守っていると、その部下の或る軍士が武昌ぶしょういちへ行って、一頭の白い亀を売っているのを見た。
明の律は太祖の武昌ぶしょうを平らげたるの元年に、李善長りぜんちょうの考え設けたるをはじめとし、洪武六年より七年にわたりて劉惟謙りゅういけんの議定するに及びて、所謂いわゆる大明律たいみんりつ成り
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
後に柳は事情があって武昌ぶしょうにいった。その時さいという老婆が水晶の界方を一つ持っていて、これと寸分違わない物を持っている者があるならむすめを嫁にやろうといった。
織成 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
、郷里から武昌ぶしょうの家の方へ移そうとおもい、せっかくこれまで運んで来ましたのに、分らずやの川番役人共がどうしても許可してくれません。どうか改葬のための通行証をお下げ渡しください
人間山水図巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わたくしは武昌ぶしょうの公吏の子で、父は王忠彦おうちゅうげんと申しました。運悪く両親に死に別れて、他人の手に育てられていましたが、ここへ来る途中で捨てられました」
開封府かいほうふに居らしめ、第六子てい王とし、武昌ぶしょうに居らしめ、第七子せい王とし、青州府せいしゅうふに居らしめ、第八子を封じてたん王とし、長沙ちょうさき、第九子ちょう王とせしが、は三歳にしてしょう
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
武昌ぶしょう張氏ちょうしの嫁が狐にみこまれた。