枯葉こよう)” の例文
ここがおちれば、蜀中はすでに玄徳のたなごころにあるもの。ここに敗れんか、玄徳の軍は枯葉こようと散って、空しく征地の鬼と化さねばならぬ。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かわきし者の叫ぶ声を聞け、風にもまるる枯葉こようの音を聞け。君なくしてなお事業と叫ぶわが声はこれなり。声かれ血なみだ涸れてしかして成し遂ぐるわが事業こそ見物みものなりしに。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
呉青秀はその中を踏みわけて、自分のへやに来て見るには見たものの、サテどうしていいかわからない。妻の姿はおろかからすの影さえ動かず。錦繍きんしゅう帳裡ちょうり枯葉こようさんず。珊瑚さんご枕頭ちんとう呼べども応えずだ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
だが、兼好の逝った正平五年(南朝)はまだまだ足利家の内争が真二つにわれた直後で、彼の死などは、一片の枯葉こようとも見る者はない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
必勝の信念がない軍隊はもう枯葉こようを落しはじめた秋風林しゅうふうりんと同じだった。剛将勝頼の胸にも、悲風蕭々しょうしょうたるものがあったであろう。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「どうしたんだ豹子頭、会うたび顔いろがよくないぜ。そろそろ秋風に枯葉こようは舞うし、拙僧もなんだか淋しい。ひとつそこらでろうじゃないか」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あらかじめ、直義もそこでは一大血戦をかくごしていたが、はや大風を知って散り退いた枯葉こようのごときものだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枯葉こようのように、人が死に、家が焼かれ、山野では、無辜むこの民が泣いていよう。餓死者すら出ているにちがいない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のみならず、その雪風か、枯葉こようの声か、非ず、不思議な美音が、何処からともなく聞えてくるではないか。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それも道理、妖法が吹き放った豼貅ひきゅうは、梁山泊軍の上まで行くと、みなハラハラただの枯葉こようになったり紙キレになって、何の加勢にもならずに仕舞ったものである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、人々がいぶかるのを耳に挾むと、石舟斎は枯葉こようのような頬にすこし笑みをたたえて云った。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿曾あそノ宮は、山伏姿となって吉野の奥へはしり、妙法院ノ宮宗良むねながは、湖を渡って、遠江とおとうみ方面へ落ちてゆかれた。——すべて離散の人もみな霏々ひひたる枯葉こようの行方と変りがない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここにいたってはもう、当初、二万余といわれた関東の寄手も、ただ支離滅裂な叫喚きょうかんに落ち、吹き捲かれる枯葉こようのような、無力な渦と渦を描いて見せるだけだったであろう。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日吉山王ひえさんのう二十一社の“彼岸所ひがんしょ”とよぶ空院に、それぞれ一夜をやっとしのがれたが、玉座のおかれた一院でさえ、氷の床、氷柱つらら御簾みす、吹き騒ぐ枯葉こようのほかはさんずる人もなかったらしい。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枯葉こようのごとく粉砕し去った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)