しかしそのいずれをもなしえなかったような懦弱なものは、やむをえず人の門に立ち、袖にすがって憐みを乞う、すなわち乞食となるのです。
それはいいが、そのいいところはまねずに、まね易い頽廃的なところばかりをまねるために、国民一般が懦弱となり、センチメンタルとなる。
(わしを見た人々は、必ず、自分の、当今の懦弱な、贅沢な振舞を省みるであろう。寝静まって、良心の冴えてくる時、不義に虐げられた時——)
行きづまった、けれどもその理由は、申し上げません等と、なんという思わせ振りな懦弱な言いかたをするのだろう。