庭訓ていきん)” の例文
鎌倉武門のあいだではあたりまえな庭訓ていきんだった。わけてその妹聟に高氏を選んだ責任の多くも兄の自分にあるとしていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一と通り家の中も見せて貰ひましたが、余つ程學問が嫌ひだつたらしく、史書經書は言ふまでもなく、庭訓ていきん往來一册ないのはサバサバしてをります。
逆に父俊成の庭訓ていきんけ継ぐ気持を強くしたのであって、封建時代の特色である世襲の観念が、和歌のように文学的創作文学になり切った文芸の世界においても
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
濂又曰く、いにしえわゆる体道たいどう成徳せいとくの人、先生誠に庶幾焉ちかしと。けだし濂が諛墓ゆぼの辞にあらず。孝孺は此の愚庵先生第二子として生れたり。天賦てんぷも厚く、庭訓ていきんも厳なりしならん。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
庭訓ていきん。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。
チャンス (新字新仮名) / 太宰治(著)
庭訓ていきんの往來誰が文庫より今朝の春
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
父とのいさかいはよくやったが、母は明治の庭訓ていきんに培われただけの典型的な古い平凡な日本の女の一人でしかなかった。
「それでは、二三日來て見なさるがいゝ。最初から大學や孝經でもあるまいから、庭訓ていきん往來でもやりませう」
書物はよめるかえ、消息往来庭訓ていきんまでは習ったか、アヽ嬉しいぞ好々よしよし、学問も良い師匠をつけてさせようと、慈愛はつきぬ長物語り、さてこそ珠運が望み通り、この女菩薩にょぼさつ果報めでたくなり玉いしが
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
さだめし其女そなたは嫁ぐ日までの教養として、貞婦ていふかがみとなるよう、おしゅうとどのからも、やかましい庭訓ていきんを数々おしえこまれておろうが、この良人は、そう気難しゅうはない。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(武力ばかりではだめだ。治策がなければ。……また、日頃の庭訓ていきんがなければ)
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これより出立いでたちまする。父君の御遺訓、母うえが日常の御庭訓ていきん御旗みはたに生かしてひるがえす日は今です。ふたたび、お膝の許に、正行が身、生きては還りますまい。長いおいつくしみ、死してもわすれませぬ。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
浅野家の庭訓ていきんや環境のよさにもよろうが、当人の素質そのものが、もとより恋の対象だけにしかならないお人形ではなかったのだ。へたをするとこの女房にあわれまれる良人になり終るおそれすらある。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しては二夫にまみえずとか、夫婦は二世とか、近ごろの庭訓ていきんは婦女子にきびしゅう教えているが、そのままを和御前わごぜめとはいられぬ。——まこと、この高氏の前途は安穏でない気がするのだ。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)