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庭訓
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ていきん
ふりがな文庫
“
庭訓
(
ていきん
)” の例文
鎌倉武門のあいだではあたりまえな
庭訓
(
ていきん
)
だった。わけてその妹聟に高氏を選んだ責任の多くも兄の自分にあるとしていた。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一と通り家の中も見せて貰ひましたが、余つ程學問が嫌ひだつたらしく、史書經書は言ふまでもなく、
庭訓
(
ていきん
)
往來一册ないのはサバサバしてをります。
銭形平次捕物控:106 懐ろ鏡
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
逆に父俊成の
庭訓
(
ていきん
)
を
承
(
う
)
け継ぐ気持を強くしたのであって、封建時代の特色である世襲の観念が、和歌のように文学的創作文学になり切った文芸の世界においても
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
濂又曰く、
古
(
いにしえ
)
に
謂
(
い
)
わゆる
体道
(
たいどう
)
成徳
(
せいとく
)
の人、先生誠に
庶幾焉
(
ちかし
)
と。
蓋
(
けだ
)
し濂が
諛墓
(
ゆぼ
)
の辞にあらず。孝孺は此の愚庵先生第二子として生れたり。
天賦
(
てんぷ
)
も厚く、
庭訓
(
ていきん
)
も厳なりしならん。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
庭訓
(
ていきん
)
。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。
チャンス
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
▼ もっと見る
庭訓
(
ていきん
)
の往來誰が文庫より今朝の春
桃の雫
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
父とのいさかいはよくやったが、母は明治の
庭訓
(
ていきん
)
に培われただけの典型的な古い平凡な日本の女の一人でしかなかった。
忘れ残りの記:――四半自叙伝――
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「それでは、二三日來て見なさるがいゝ。最初から大學や孝經でもあるまいから、
庭訓
(
ていきん
)
往來でもやりませう」
銭形平次捕物控:080 捕物仁義
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
書物は
読
(
よめ
)
るかえ、消息往来
庭訓
(
ていきん
)
までは習ったか、アヽ嬉しいぞ
好々
(
よしよし
)
、学問も良い師匠を
付
(
つけ
)
てさせようと、慈愛は
尽
(
つき
)
ぬ長物語り、
扨
(
さて
)
こそ珠運が望み通り、
此
(
この
)
女菩薩
(
にょぼさつ
)
果報めでたくなり玉いしが
風流仏
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
さだめし
其女
(
そなた
)
は嫁ぐ日までの教養として、
貞婦
(
ていふ
)
の
鑑
(
かがみ
)
となるよう、お
舅
(
しゅうと
)
どのからも、
厳
(
やかま
)
しい
庭訓
(
ていきん
)
を数々
訓
(
おし
)
えこまれておろうが、この良人は、そう気難しゅうはない。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(武力ばかりではだめだ。治策がなければ。……また、日頃の
庭訓
(
ていきん
)
がなければ)
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これより
出立
(
いでた
)
ちまする。父君の御遺訓、母うえが日常の御
庭訓
(
ていきん
)
、
御旗
(
みはた
)
に生かして
翻
(
ひるがえ
)
す日は今です。ふたたび、お膝の許に、正行が身、生きては還りますまい。長いお
愛
(
いつく
)
しみ、死してもわすれませぬ。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
浅野家の
庭訓
(
ていきん
)
や環境のよさにもよろうが、当人の素質そのものが、もとより恋の対象だけにしかならないお人形ではなかったのだ。へたをするとこの女房に
愍
(
あわ
)
れまれる良人になり終る
惧
(
おそ
)
れすらある。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
嫁
(
か
)
しては二夫にまみえずとか、夫婦は二世とか、近ごろの
庭訓
(
ていきん
)
は婦女子にきびしゅう教えているが、そのままを
和御前
(
わごぜ
)
に
践
(
ふ
)
めとは
強
(
し
)
いられぬ。——まこと、この高氏の前途は安穏でない気がするのだ。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
庭
常用漢字
小3
部首:⼴
10画
訓
常用漢字
小4
部首:⾔
10画
“庭訓”で始まる語句
庭訓往来
庭訓往來