小野妹子おののいもこ)” の例文
小野妹子おののいもこ犬上御田鍬いぬかがみたすきは、ふたたび隋に派遣され、多くの留学生も送られた。そうして、天皇紀、国紀は編纂され、唐の使節は来たのである。
またあるとき日本にほんくにからシナのくにへ、小野妹子おののいもこという人をお使つかいにやることになりました。そのとき太子たいし妹子いもこかい
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
とも呼び、大昔の小野妹子おののいもこいらい、世襲になっているという寺司職じししょくの私邸が、木の間隠れに、しずかだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せんだって小野妹子おののいもこっててくれた法華経ほけきょうは、衡山こうざんぼうさんがぼけていたとえて、わたしのっていたのでないのをまちがえてよこしたから、たましいをシナまでやってってたよ。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
推古朝すいこちょうの時代、小野妹子おののいもこずいの国から持ってきたと申す説、また、仁明帝にんみょうていの御世に遣唐使藤原貞敏ふじわらのさだとしが学んで帰朝したのが始まりであると申す説と、いろいろにいわれておりまするが
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そののちまた小野妹子おののいもこが二めにシナへわたったとき衡山こうざんのおてらたずねると、まえにいた三にんぼうさんの二人ふたりまではんでしまって、一人ひとりだけのこっておりましたが、そのぼうさんのはなし
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)