大蔵おおくら)” の例文
旧字:大藏
出外れると加藤大蔵おおくら、それから先は畦のような一本路が観音かんのん浄正じょうしょうの二山へ走って、三川島村の空遠く道灌山の杉が夜のとばりにこんもりと——。
それは厳重に旅よそおいをした、飛天夜叉の桂子かつらこ浮藻うきもと小次郎と大蔵おおくらやつ右衛門と、風見の袈裟太郎と鶏娘とりむすめと、そうして幽霊女とであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
こんなあいだも明朝の出陣支度に沸く武者声やら物音は、まるで屋鳴やなりのようなとどろきだった。この屋敷、この大蔵おおくらやつ、はじめての活気なのだ。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲州武田のお能役者で大蔵おおくらというのが、これが目ききで、伊豆の北山や、佐渡の金山を開いて上げたのも、あの大蔵というお能役者の働きでございましたよ。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
十六代の大蔵おおくら宗政という人が、輝宗さまのとき相馬そうまの合戦で討死をしたことと、次の左馬助さまのすけ宗時という人、この人は頭もよかったし、戦いにも強かったらしい
幸田博士の『狂言全集』下なる大蔵おおくら流『犬山伏』の狂言に、茶屋の亭主が、山伏と出家の争論を仲裁して人食い犬を祈らせ、犬がなついた方を勝ちと定めようというと
軍首脳部や長老の動きは頻繁ひんぱんで、その代表者は叛軍の説得におもむいたが、その結果はきわめてあいまいであり、しかもその夕方には、叛軍の疲労ひろうをねぎらう意味で首相官邸をはじめ、鉄道、文部、大蔵おおくら
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
この時焚火の火の光の輪から遠く離れて、月光ばかりがわずかに明るい林の奥の方から、大蔵おおくらやつ右衛門が姿をあらわし、物憂ものうさそうに歩み寄って来た。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大蔵おおくらの足利屋敷の門前は、まま通る。通ればかならず「——高氏は?」と、白眼で振り向かれる。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、出陣前に、登子とうこ実家さとの赤橋へあずけて行け。そして子二人は、大蔵おおくらへのこしておくか」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その前を足早に歩いて行くのは、大鉞おおまさかりをひっさげた、大蔵おおくらやつ右衛門であった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大蔵おおくらのおやしきだよ。……あの足利屋敷の内に、御執権の命令で、質子ちしとして、足止めをされていた足利どののお子が、いつのまにか、いなくなったという騒ぎなんだ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これを本朝弓道の中祖、斯界の人々仰がぬ者なく、日置流より出て吉田よしだ流あり、竹林ちくりん派、雪荷せっか派、出雲いづも派あり、下って左近右衛門さこんえもん派あり、大蔵おおくら派、印西いんざい派、ことごとく日置流より出て居るという。
弓道中祖伝 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「ま、お待ちなされませ。大蔵おおくら(鎌倉の邸)の御宗家ごそうけからきたお使いならやがてここへ見えましょう。若ぎみがお迎えに出るなどはいけません。若ぎみはここのおん大将なのですから」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鎌倉の大蔵おおくら屋敷に留守としておいて来た設楽しだら五郎左衛門の子、権之助であった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
久しく鎌倉の大蔵おおくらやつの方にいて、国へは帰る日もないとみえる。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大蔵おおくらの、かつての足利殿の屋敷はどうなった?」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)