千束せんぞく)” の例文
八月二十日は千束せんぞく神社のまつりとて、山車屋台だしやたいに町々の見得をはりて土手をのぼりて廓内なかまでも入込いりこまんづ勢ひ、若者が気組み思ひやるべし
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
と云って、花屋敷の角まで来ると、きっとナオミは「左様なら」と云い捨てながら、千束せんぞく町の横丁の方へバタバタ駆け込んでしまうのでした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いつか、お綱のいる所は、冷寂れいじゃくとした仏地ぶっちである。吉原じりから千束せんぞくをぬけてきたとすれば、そこは多分、浅草の観音堂。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ千束せんぞく村の田甫時代、公園裏の田甫中へ全くの一軒家、こけら葺きの粗末な構え、くねった丸太の門柱へ宗匠流の達筆で「たぬき汁」の一枚看板
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
この宇土半島の西端と天草上島かみじまの北端との間に、大矢野島、千束せんぞく島などの島が有って、不知火しらぬい有明の海を隔てて、西島原半島に相対して居るのである。
島原の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
傘のかげは一つも見えない浅草田圃の果てに、千束せんぞくの大池ばかりが薄墨色にどんよりとよどんで、まわりの竹藪は白い重荷の下にたわみかかっているらしかった。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
『肥後国誌』十二上益城かみましき東水越ひがしみずこし村の条には「この谷の奥に千束せんぞく牟田という大でいあり」ともある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
大矢野おおやの島と千束せんぞく島(この島は天草の乱の策源地といわれている)の間をぬけ、やがて上島近くにさしかかると、雲はいく分切れ、風も弱まつたようであつたが、波はいよいよ高く
天草の春 (新字新仮名) / 長谷健(著)
「この人のうちは、千束せんぞく箒屋ほうきやさんでね」朝野が言った。「ゆんべの客のようなのを早く帰そうと、箒に手拭をかぶせようと思っても、うちじゅう、箒だらけで、どれにしていいか……」
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
椿岳は物故する前二、三年、一時千束せんぞく仮寓かぐうしていた。
日本左衛門の手下千束せんぞくの稲吉と五、六人の子分だ。わしと伊兵衛でそれとなく邪魔をしているが、お前の方でも気をつけるがいい。委細はそのうち。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は殆どべそをかないばかりの気持で、———いや、実際べそを掻いていたかも知れませんが、———千束せんぞく町の路次を出ると、何とう目的もなく
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その頃、公園を抜けてすぐ千束せんぞく町を左に折れ、一、二丁行くと田甫道、狭い通路をもまれて行く。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
とにかくに全国的にいたって数多いアシダニ・アシノタニ・千束せんぞく菖蒲谷しょうぶだにという類の地名が、この県にもかなり分布していて、まだその由来が判っておらぬということは
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ちょっと右へずれてまっすぐに千束せんぞくへ通ずる通り、米久よねきゅうがあるので普通「米久通り」と言われている「ひさご」通り、その入口の片方にある「びっくりぜんざい」は、大きな二重丸のなかに
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
千束せんぞく町、清住町きよすみちょう龍泉寺りゅうせんじ町———あの辺一帯の溝の多い、淋しい街をしばらくさまよって見たが、交番の巡査も、通行人も、一向気が附かないようであった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その土地を千束せんぞくと呼んだいわれがあることによってつけた(千束は多分洗足なのであろう)。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
これは尺取しゃくとりの十太郎、千束せんぞくの稲吉、四ツ目屋の新助の三人づれで、どれもこれも、まだ草鞋わらじを解いていない様子をみると、例の暗殺の目あてをもって、この甲府へ入り込んで来る途中
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜなら彼女は、私と一緒に暮らしてこそ思う存分の贅沢ぜいたくが出来ますけれども、一と度此処を追い出されたら、あのむさくろしい千束せんぞく町の家より外、何処どこに身を置く場所があるでしょう。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
無論それは先生せんじょう金右衛門で、稲というのは千束せんぞくの稲吉でしょう。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)