伊達政宗だてまさむね)” の例文
歴史の方でも伊達政宗だてまさむねのように、独眼竜といわれた偉人は少くありませんが、伝説では、ことに目一つの人が尊敬せられています。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
『右手鳥居なかの一本は奥州仙台伊達政宗だてまさむね公。赤いおたまやは井伊かもんの守』かういふことを幕無しに云つてけた。
仏法僧鳥 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
瑞巌寺ずいがんじは東北地方に名高い、松島にある古い大きな寺で、そこに安置してある伊達政宗だてまさむねの木像も世に知られています。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ここは伊達政宗だてまさむねという大名の開いたまちだそうであるが、日本で、der Stutzer の気取屋のことを「伊達者」といっているのは、案外
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
奥州武士の伊達政宗だてまさむねが罪をどうしまに待つ間にさえ茶事を学んだほど、茶事は行われたのである。勿論もちろん秀吉は小田原おだわら陣にも茶道宗匠をしたがえていたほどである。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かの大友宗麟おおともそうりんのごとき、蒲生氏郷がもううじさとのごとき、あるいは伊達政宗だてまさむねのごとき、その使節をローマ府に遣わし、わが緑髪黒眸りょくはつこくぼうの人士は、すでに第十六世紀の終りにおいて
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
いわく、伊達政宗だてまさむね。曰く、林子平はやししへい。曰く、支倉六右衛門はせくらろくえもん。今度もこの三人の墓を拝した。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
斎川ノ駅ニ飯ス。一里ニシテ白石ニ抵ル。往者おうしゃ長尾景勝かげかつノ部将甘糟備後あまかすびんごノ拠ル所タリ。慶長中伊達政宗だてまさむね攻メテコレヲ抜ク。片倉景綱かたくらかげつな先登ノ功ヲ以テコノ地ヲム。世〻伊達氏ノ柱石タリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
奥羽おううきっての勢力家で、小心で、大の野心家であった伊達政宗だてまさむねさえ、この年少気鋭な三代将軍の承職に当たって江戸に上った際、五十人の切支丹の首がすずもりではねられるのをのあたり見て
しかるにもかかわらず、小野太左衛門はその説に感歎して、これを主人の伊達政宗だてまさむね言上ごんじょうし、後日に清悦せいえつ御目見おめみえの沙汰さたがあった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
帰化英人アダムスをして百二十トンの大船を造らしめ、太平洋を横断して、墨西哥メキシコと交通せしめ、伊達政宗だてまさむねは、図南となん鵬翼ほうよくふるわんと欲して、その臣支倉はぜくら六左衛門をして、墨西哥にけいして
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
宮城県などでは、伊達政宗だてまさむねにはじまったという「さんさしぐれか」という歌にもこの囃しがついている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)