仏性ぶっしょう)” の例文
旧字:佛性
一切のものはその仏性ぶっしょうにおいては、美醜の二も絶えた無垢むくのものなのである。この本有の性においては、あらゆる対立するものは消えてしまう。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
私たちは誰でも、人格完成の種子たねを、生れながらに持っている(一切衆生ことごとく仏性ぶっしょうあり〔涅槃経ねはんぎょう〕)
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
教祖の権威に対して敬虔であった道元は、仏教思想史上重大な論議を生んだ「仏性ぶっしょう」の問題に論及するに当たっても、主として歴史的な顧慮の上に彼の論をきずいた。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
世にもめずらしい仏性ぶっしょうの女子じゃ、許してあげてくだされ、そして、いとしんでおやりなされよ
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
狗児くじにも仏性ぶっしょうありというのだから、老猫も一切衆生いっさいしゅじょうの中の一物ではある。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
生死即涅槃しょうじそくねはんと云い、煩悩即菩提ぼんのうそくぼだいと云うは、悉くおのが身の仏性ぶっしょうを観ずると云うこころじゃ。己が肉身は、三身即一の本覚如来ほんがくにょらい、煩悩業苦ごうくの三道は、法身般若外脱ほっしんはんにゃげだつの三徳、娑婆しゃば世界は常寂光土じょうじゃつこうどにひとしい。
道祖問答 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
とまったときにはじめてやむもので、これは禅宗のほうでもそうでありますが、始め題を出しまして、「趙州じょうしゅう」という題を出す。狗子くし仏性ぶっしょうがあるかないか。と問われて、趙州が無といった。
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
いずれも仏性ぶっしょうせる身を へだつるのみこそ悲しけれ。
ちなみに問ふ。狗子くし仏性ぶっしょうありや。いわく、苦。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
狗子還有仏性也無[狗子くしにまた仏性ぶっしょう有りやいなや]の問答についても同様の事が言える。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
すべておさは、澄んだ水でござる。それを、奇瑞きずいの、奇童のと、見るのはすでにわれら凡俗の眼があやまっている。——あらゆる童心はすべて仏性ぶっしょうでござろうぞよ、おわかりか
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、あなたは、僧侶でしたな。仏性ぶっしょうのひとに、神性を説いては、当りませんかな」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)