乙若おとわか)” の例文
「大きくなったなあ、わしは弥右衛門どのの友達の乙若おとわかだよ。織田様に仕えていた頃、同じ足軽組にいた者だ」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょうどふゆのことで、ゆきがたいそうっていました。常磐ときわ牛若うしわかふところれて、乙若おとわかの手をひいて、ゆきの中をあるいて行きました。今若いまわかはそのあとからついて行きました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ことし六歳むっつ乙若おとわかと、八歳になった今若いまわかのふたりが、寒さに、ひしと抱き合って、無心な寝息をもらしていた。それに掛けてあるのは一枚の母の上着だけであった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むかし源氏げんじ平家へいけ戦争せんそうをして、おたがいにったりけたりしていたときのことでした。源氏げんじ大将たいしょう義朝よしともには、悪源太義平あくげんたよしひら頼朝よりとものほかに今若いまわか乙若おとわか牛若うしわか、という三にん子供こどもがありました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
葉がくれの寒椿の花ののぞけば紅きがように陰住居かげずまいしていたが、すでに左馬頭義朝とのあいだには、ことし七ツになる今若、五歳の乙若おとわか、そしてまだ乳恋うさかりの牛若と
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それで今若いまわか乙若おとわかとはいのちだけはたすかって、おてらへやられました。牛若うしわかはまだおちちんでいるので、おかあさんのそばにいることをゆるされましたが、これも七つになると鞍馬山くらまやまのおてらへやられました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「その後、委細は、乙若おとわかどのから、言伝ことづてがあったでしょう」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
乙若おとわかは、ちょっと、痛いところをかれた顔をして
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)