乖離かいり)” の例文
紅葉と乖離かいりするのは決して本意ではなかったろうが、美妙の見識は既にびょうたる硯友社の一美妙でなくて天下の美妙斎美妙であったのだ。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
……あの面相にしてからが、典型的な悖徳狂の型モーラル・インサニティ・タイプで、ああいう乖離かいり性素質のものこそ、こういう傾向的犯罪を犯しやすいんです。
犂氏の友情 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
将卒を強いて戦わしめんとすれば人心の乖離かいり、不測の変を生ずる無きをせず。諸将争って左するを見て王の怒るもまたむべなりというべし。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
彼と彼らはたがいに不信と、敵意の目で見合っていた。彼はこうした乖離かいりの一般的な原因を知ってもいたし、また悟ってもいた。
また、もしかすると歴史における人間の現在の段階は肉体と理知のこのような乖離かいりというところにあるのかもわからない。
抵抗のよりどころ (新字新仮名) / 三好十郎(著)
この制度の中に因習的に住む者が思想感情の乖離かいりと、物質的福利の争奪と嫉妬とに由って、常に複雑にして醜悪な小人的の私闘を絶たない事は
激動の中を行く (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
これを乖離かいりすることは甚だ困難である以上、料理もまた虚々実々の真骨髄に触れるところがなければならないのは、言うまでもないことであろう。
法王をたおせ!(そのころ万事が皆ローマと乖離かいりしていたのである。)余はただ皇帝のためにのみ尽さんとするなり。云々うんぬん
津川はその調子から、彼女が自分の眼を求めているのを知って、抑えきれぬ気持の乖離かいりを感じながらうなずいた。
正体 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
けだしこの二者はつねに相携え、相伴い、いまだかつて一日も相乖離かいりしたることあらず。ゆえにわが邦においてはただ公平至当一様にこれを伸ばすべきのみ。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
鶴見の読後感には何かそういった思想の乖離かいりがあった。よそよそしさがあった。それを長い間どうすることも出来ないでいた。鴎外は他を言っているのではなかろうか。
そういうのが、イスラエル民族と彼との最初の邂逅かいこうであった。他の民族と乖離かいりしてるこの強健な民族のうちに、彼はおのれの戦いの味方を見出し得ることと思っていた。
事は成らずして畢竟ひっきょう再び母とわれとの間を前にも増して乖離かいりせしむるに過ぎざるべきを思いぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
倫理面に活動するていの文芸はけっして吾人内心の欲する道徳と乖離かいりして栄える訳がない。
文芸と道徳 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
然しながら、古典的は本来どこまでも歴史的と相背反するのではなからうか。その手法はグンドルフと甚だ相違するにせよ、シュトリヒも同じく古典的と歴史的との乖離かいりを説いてゐる。
ゲーテに於ける自然と歴史 (新字旧仮名) / 三木清(著)
しかし本当とかうそとかいうことと信ずることとが完全に乖離かいりした考え方はちょっとむつかしい。私が小学校時代をすごした家には、あらゆる意味で、現代風な物の考え方というものは全然なかった。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
三山の親切に対してしいて争う事も出来ずに不愉快な日を暮す間に、大阪の本社とは日に乖離かいりするが東京の編輯局へは度々出入して自然したしみを増し
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
心配することはなにもない……西洋のある哲人は、あらゆる感動は、みな急激な乖離かいりからくるといっている。
我が家の楽園 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その乖離かいりは初めは感じ難いほどであるが、木の枝が分かれるようにしだいに大きくなる。小枝はなお幹についたまま遠ざかってゆく。それは小枝の罪ではない。
「すぐいって来る」右衛門の両方の眼の眸子ひとみが右は右へ左は左へと乖離かいり運動を起こした、「——というと、つまり、その、……おまえは、二時間以上も経つのに、まだ、その、うう」
思い違い物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それ商業なるものはなお一個人の間におけるがごとく、邦国の間にもおのずから自他の友愛和睦の関紐かんじゅうとなるべきはずなるに、かえって乖離かいり敵対のもっともはなはだしき原因となれり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
直観の欠如といふことがゲーテの歴史に対する関係の乖離かいりであつた。
ゲーテに於ける自然と歴史 (新字旧仮名) / 三木清(著)
すると琴子は気質転移をひきおこした乖離かいり病患者のようなめざましい上機嫌になって
ハムレット (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
去る者はやみの方へ向き、来る者は光明の方へ向いている。ここにおいてか乖離かいりが生じてきて、老いたる者にとっては宿命的なものとなり、若い者にとっては無意識的なものとなる。
従つてそこに見られるのは主観的傾向であつて、ここに先づ既に、客観的であることを本質とする歴史的意識と浪漫主義との乖離かいりがある。ゲーテは同時代のかやうな浪漫的傾向から離れて立つてゐた。
ゲーテに於ける自然と歴史 (新字旧仮名) / 三木清(著)
乖離かいりと排他主義の精神をおし樹てていた頑冥な閉鎖国で、清の高宗が辺外諸部との交通を禁止した乾隆十五年(一七四九)から、民国三年(一九一四)のシムラ会議まで、百六十五年の間
新西遊記 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)