下肥しもごえ)” の例文
数世紀にわたって日本人は、下肥しもごえを畑や水田に利用する国で、水を飲むことが如何に危険であるかを、理解し来ったのである。
その上より下肥しもごえを撒きかけて土を覆ひまはるに、その臭き事限りなく、その仕事の手間取る事、何時いつ果つべしとも思はれず。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「せめては下肥しもごえ位はたまるだらう」と校長先生が考へたにもかかはらず、校長先生の作男が下肥を汲みに行く朝は、其処は何時もからつぽだつた。
しかも、数日の後には、次郎は、下肥しもごえを汲んでいた直吉の頓狂とんきょうな叫び声で、大まごつきをしなければならなかった。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
葛西かさい肥料屋こやしやでは、肥桶こえおけにぐっとうでを突込み、べたりと糞のつくとつかぬで下肥しもごえ濃薄こいうすい従って良否を験するそうだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
しかし市場にあるものでは、下肥しもごえを使ったかもしれないという心配が大いにある。それで庭の一部に小さい畑をつくって、そこで妻がレタスをつくることになった。
サラダの謎 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
また野菜を買いに八幡やわたから鬼越おにごえ中山なかやまの辺まで出かけてゆく。それはいずこも松の並木の聳えている砂道で、下肥しもごえを運ぶ農家の車に行き逢うほか、殆ど人に出会うことはない。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
何処どこの原野の開墾かいこんを引受けてソレで幾らかの運上を納めようとう者もあり、又る時江戸市中の下肥しもごえを一手に任せてその利益を政府にめようではないかと云う説がおこった。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
例えば下肥しもごえの如きも、これを相当科学化して乾燥した固形物とするか、或は粉未として、感じにも取扱いにも効能にも相当の増進率を持たせる、それから蒔物まきものの調節、麦を蒔いたあとへ陸稲とか
下肥しもごえをきたないという点にまで感覚が進んでは、続けにくい労働でありまた消費でもあったが、これに基づいていわゆる生活の飢餓点は測定せられ、その境目の所に生活を支えしめる限度において
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
官主をしてをりますので下肥しもごえだけはいらはない事にしてをります。
大島行 (旧字旧仮名) / 林芙美子(著)
下肥しもごえの舟曳くならし夜の明けて野川の氷こゑたつるなり
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
余のあざには、二三年来二十七戸の内で馬を飼う家が三軒出来た。内二軒は男の子が不足なので、東京からの下肥しもごえひきに馬を飼う事を思い立ったのである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
下肥しもごえの舟曳く子らがうしろでも朝間あさまはすずし白蓮の花
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
日なたぼこりで孫いじりにも飽いた爺の仕事は、くわ煙管ぎせる背手うしろでで、ヒョイ/\と野らの麦踏むぎふみ。若い者の仕事は東京行の下肥しもごえりだ。寒中の下肥には、うじかぬ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)