“となみ”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:トナミ
語句割合
戸浪17.6%
礪並17.6%
利波11.8%
礪波11.8%
斗南5.9%
戸波5.9%
砥並5.9%
蛎波5.9%
豊南5.9%
門浪5.9%
鳥網5.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
台詞せりふは寺子屋の浄瑠璃の本文をほとんど逐字訳といっても好いくらいに英訳したもので、紐育で作られた台本を用いているのだと聞きました。涎くりが戸浪となみに叱られて机の上に立たされて泣く。
米国の松王劇 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
叔父蔵人行家ゆきいえは一万余騎で志保山へ、仁科にしな高梨たかなし、山田次郎らで北黒坂きたくろさかへ七千余騎、南黒坂には樋口次郎兼光ひぐちのじろうかねみつらが七千余騎、又一万余騎は伏兵として、礪並となみ山の口、黒坂の裾、松長の柳原
次に日子刺肩別ひこさしかたわけの命は、高志こし利波となみの臣、豐國の國前の臣、五百原の君、角鹿つぬがの濟の直が祖なり。
巴と葵の塚は、礪波となみ山にあるが、木曾、伊那、そのほかの地方にもある由である。葵は、礪波山で戦歿したとか、安宅附近で戦残したなどの説もあるが、口碑の程度で、確証は何もない。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金十郎が、どこの辺から出て来たのか、と声をかけると、もしや奉謝にあずかれるかと、おれは斗南となみから、わしはどこどこからとつぶやく
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ひとりでのみこんで、斗南となみ白並しらなみというところにある御船番所の御小人に推挙してくれた。
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その駿河台の、ややおちゃみずりの一角に、「戸波となみ研究所」と青銅製の門標もんひょうのかかった大きな建物があった。今しも、そこの扉が、外に開いて、背の高い若い男が姿を現わした。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「まったく、よくしゃべる奴じゃ、そういうお前らこそ、砥並となみ山の戦で散々にうち負かされ、乞食して都へ上ったのではなかったか」
「あああの、越中えっちゅう蛎波となみかよう街道で、此処ここに来る道のわかれる、目まぐるしいほど馬の通る、彼処あすこだね。」
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「赤沢には有つたけえど、もうこの先きには無えね。いつそ田原まで行つちやどうだね、俺等も田原の直ぐそばの豊南となみまで行くだ」
伊良湖の旅 (新字旧仮名) / 吉江喬松(著)
併し、「に」に方嚮ほうこう(到着地)を示す用例は無いかというに、やはり用例はあるので、「粟島あはしまに漕ぎ渡らむと思へども明石あかし門浪となみいまだ騒げり」(巻七・一二〇七)。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
巻十七(四〇一一)の長歌で家持が、「あしひきのをてもこのもに鳥網となみ張り」云々うんぬんと使ったのは、此歌の模倣で必ずしも都会語ではなかっただろう。「かなる間しづみ」はよく分からない。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)