“とうこ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
登子45.5%
東湖18.2%
投壺13.6%
当戸4.5%
東胡4.5%
棠子4.5%
董狐4.5%
鐙子4.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ここへ、下向げこういらい、細川和氏が「——急務第一の任」とばかり、八方手をつくしていたのは、主君高氏の夫人、登子とうこかたの捜査だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつてかへしてたすさうとするうち主要動しゆようどうのために家屋かおく崩壞ほうかいはじめたので、東湖とうこ突差とつさ母堂ぼどう屋外おくがいはうした瞬間しゆんかん家屋かおくまつた先生せんせい壓伏あつぷくしてしまつたが
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
いでさらば投壺とうこ参らせん菊の花
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
(陵の父、当戸とうこは、彼が生まれる数か月前に死んだ。陵はいわゆる、遺腹の児である。だから、少年時代までの彼を教育し鍛えあげたのは、有名なこの祖父であった。)
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
一度単于は李陵を呼んで軍略上の示教をうたことがある。それは東胡とうこに対しての戦いだったので、陵は快くおのが意見を述べた。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
嘉永四年には、二月四日に抽斎の三女で山内氏を冒していた棠子とうこが、痘を病んで死んだ。いで十五日に、五女癸巳きしが感染して死んだ。彼は七歳、これは三歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
失意の人々の中には董狐とうこの筆を振って縲紲るいせつはずかしめに会うものもあり、また淵明えんめいの態度を学んで、東籬とうりに菊を見る道を求めたものもあった。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
九十の老齢で今なお病を養いつつ女の頭領として仰がれる矢島楫子刀自やじまかじことじを初め今はとっくに鬼籍に入った木村鐙子とうこ夫人や中島湘烟なかじましょうえん夫人は皆当時に崛起くっきした。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)