けぶ)” の例文
からははひにあともとゞめずけぶりはそら棚引たなびゆるを、うれしやわが執着しふちやくのこらざりけるよと打眺うちながむれば、つきやもりくるのきばにかぜのおときよし。
軒もる月 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
裂けばけぶ蜜柑みかんの味はしらず、色こそ暖かい。小春こはるの色は黄である。点々とたまつづる杉の葉影に、ゆたかなる南海の風は通う。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
武男の手よりすべり落ちたる葉巻は火鉢に落ちておびただしくうちけぶりぬ。一燈じじと燃えて、夜の雨はらはらと窓をうつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
だが、橘の眼はなにかにあこがれて漂渺ひょうびょうとしてけぶっているようなところに、ちらりとのぞかせた瞳の反射が美しいというよりも、気高いものだった。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
その門を凌ぐ一双の菩提樹リンデン。いな、身の薄いひもじさに悶えながらに、ひとがをり、そのひとの後ろのグリィンに、やはり、門を暗くする雨がけぶる。
(新字旧仮名) / 高祖保(著)
狭苦しい銀子のうちも、二階の見晴らしがよくなり、雨のふる春の日などは緑の髪に似た柳がけぶり、残りの浅黄桜が、行く春の哀愁をそそるのであった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ただ、うつつと異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧とけぶった中に、黄金こがね釵子さいしが怪しげな光を放って居っただけじゃ。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
けぶる傾斜の気息いき、遠く深く潜む谷の声、活きもし枯れもするもりの呼吸、其間にはまた暗影と光と熱とを帯びた雲の群の出没するのも目にいて
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
その中で活動写真、寄席よせ酒場バア喫茶店カフエエなどの軒を並べて居るゲエテまちだけが地獄の色の様な火明ひあかりに赤くけぶつて居た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
そしてしかもその表二階の室は、女中は前もって火を入れ、けぶったので窓を開けておいたのであったと。
張上はりあげ遂にはすてゝこをどりやかつぽれと醉に乘ぜし有樣は何時果べきとも見えざりけり然るに伴建部の兩人は先代よりの用役ゆゑ兎角とかくけぶたく思に付此酒宴しゆえんの席へ呼ざるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ぼーっとけぶった霧雨きりさめのかなたさえ見とおせそうに目がはっきりして、先ほどのおっかぶさるような暗愁は、いつのまにかはかない出来心のしわざとしか考えられなかった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
しも見れば早や塔の沢、こちごちに湯のけぶりて、ちらちらと揺るるの見ゆ。海見えて漁火いざりつく見ゆ。この岨や馴れし山岨、遠く来し旅にもあらね、さは急ぐ道にもあらず。
ばらりと抜けた一つかみの毛を、両手に握りしめて、恨めしげにキュッとねじって、すううと糸を引いた一筋の紅は、色でもなく血でもなく、それは暗いけぶりのように見えた。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
まるで一枚の半巾ハンカチでも飛んで来るように、白い前掛をした女が彼方から走って来た。ちょうど海から霧が上陸あがって来て、街燈の灯まで二重になって見えるように往来がけぶっていた。
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やあ清吉来たか鐵も来たか、何でも好い滅茶〻〻に騒げ、我に嬉しい事が有るのだ、無礼講に遣れ/\、と大将無法の元気なれば、後れて来たる仙も政もけぶに巻かれて浮かれたち
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
……その森、その樹立こだちは、……春雨のけぶるとばかり見る目には、三ツ五ツ縦に並べた薄紫の眉刷毛まゆばけであろう。死のうとした身の、その時を思えば、それもさかしまに生えた蓬々おどろおどろひげである。
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
余燼よじんけぶる焼け跡から、二百年前の婦人の遺骨と確定せられるものが、一体発見せられたということを耳にして以来、なおさら私は、自分のこの確信を深めずには、いられなかったのです。
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)
月は益〻え返って乙女の全身は透通すきとおるかとばかり、蒼白い光にけぶっている。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ただ一叢ひとむらの黄なる菜花なのはなに、白い蝶が面白そうに飛んで居る。南の方を見ると、中っ原、廻沢めぐりさわのあたり、桃のくれないは淡く、李は白く、北を見ると仁左衛門の大欅おおけやきが春の空をでつゝ褐色かっしょくけぶって居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
皐月雨さつきあめけぶれる奧に、薄き日は
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
薄むらさきにけぶつた街の
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
曖昧と云えば浪の向うももやのおりているせいか、甚だ曖昧を極めている。僕は長椅子に寝ころんだまま、その朦朧もうろうけぶった奥に何があるのか見たいと思った。
不思議な島 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
月の光はこんもりとした木立の間から射し入って、林に満ちた夕靄ゆうもやけぶるようであった。細長い幹と幹との並び立つさまは、この夕靄の灰色な中にも見えた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
河の氷がようやく崩れはじめ、大洋の果てに薄紫の濛靄もやけぶるころ、銀子はよその家の三四人と、廻船問屋かいせんどんや筋の旦那衆だんなしゅうにつれられて、塩釜しおがま参詣さんけいしたことがあった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
長い車は包む夜を押し分けて、やらじとさかう風を打つ。追い懸くる冥府よみの神を、力ある尾にたたいて、ようやくに抜け出でたる暁の国の青くけぶる向うが一面にり上がって来る。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
野良調子のらでうし高声たかごゑげて、広野ひろのかすみかげけぶらせ、一目散いちもくさん駆附かけつけるものがある。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
難波江の蘆の枯葉をわたる風をも皆御法みのり説く声ぞと聞き、浮世をよそに振りすてゝ越えし鈴鹿や神路山、かたじけなさに涙こぼれつ、行へも知れず消え失する富士のけぶりに思ひをよそ
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
海も山も一色ひといろに打ちけぶり、たださえながき日の果てもなきまで永き心地ここちせしが、日暮れ方より大降りになって、風さえ強く吹きいで、戸障子の鳴るおとすさまじく、怒りたける相模灘さがみなだ濤声とうせい
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
赤い火がチリチリとけぶっているのが夏の夕方なぞよくながめられました。
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)
郎党たちは、そう分っているだけに、何と慰めることばも知らず、黙々と、黒桃花くろつきげの尾や馬蹄にけぶ粉雪こなゆき旋風つむじかぜに、かぶと前立まえだてをうつ向けがちに従って行ったが、そのうちに一ノ郎党、鎌田兵衛正清が
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
星のうごかぬ、八面玲瓏とけぶり澄んだ、銀張りの夜。
(新字旧仮名) / 高祖保(著)
今日見れば唯だ水いろにけぶるなり旅順の空のまろ峰峰みねみね
が、もう良平はその時には、先に立って裏庭をけ抜けていた。裏庭のそとには小路こうじの向うに、木の芽のけぶった雑木林ぞうきばやしがあった。良平はそちらへ駈けて行こうとした。
百合 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
次第に淀の駅の船着場も近いと聞くころには、けぶるような雨が川の上へ来た。公使一行の中には慣れない不自由な旅に疲れて、早く伏見へと願っているものがある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
くらおくから、黄金色こがねいろ赤味あかみしたくもが、むく/\と湧出わきだす、太陽たいやう其処そこまでのぼつた——みぎはあしれたにも、さすがにうすひかりがかゝつて、つのぐむ芽生めばえもやゝけぶりかけた。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
七条から一条まで横につらぬいて、けぶる柳の間から、ぬくき水打つ白きぬのを、高野川たかのがわかわらに数え尽くして、長々と北にうねるみちを、おおかたは二里余りも来たら、山はおのずから左右にせまって
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
後れて来たる仙も政もけぶに巻かれて浮かれたち、天井抜きょうが根太抜きょうが抜けたら此方こちのお手のものと、飛ぶやら舞うやらうなるやら、潮来出島いたこでじまもしおらしからず、甚句にときの声を湧かし
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
浴客はまだ何処にも輻湊ふくそうしていなかったし、途々みちみち見える貸別荘の門なども大方はしまっていて、松が六月の陽炎ようえん蒼々あおあおと繁り、道ぞいの流れの向うに裾をひいている山には濃い青嵐せいらんけぶってみえた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
駈け上がる者、当る者、みな趙雲の槍に血をけぶらせて仆れた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あおう、身のうちに火がついたわ。このけぶりは如何いかが致した。」と、狂おしく御吼おたけりになったまま、僅三時わずかみときばかりの間に、何とも申し上げることばもない、無残な御最期ごさいごでございます。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
殊に其日の空気はすこし黄に濁つて、十一月上旬の光に交つて、斯の広濶ひろ谿谷たにあひを盛んにけぶるやうに見せた。長い間、二人は眺め入つた。眺め入り乍ら、互に山のことを語り合つた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
それへ出ると、何処どこでも広々と見えますので、最初左の浜庇はまびさし、今度は右のかやの屋根と、二、三箇処がしょ、その切目きれめへ出て、のぞいたが、何処どこにも、祭礼まつりらしい処はない。海はあかるく、谷はけぶって。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
追い懸けて来る過去をがるるは雲紫くもむらさきに立ちのぼ袖香炉そでこうろけぶる影に、縹緲ひょうびょうの楽しみをこれぞと見極みきわむるひまもなく、むさぼると云う名さえつけがたき、眼と眼のひたと行き逢いたる一拶いっさつ
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あおく水けぶる、君きませというような文句であった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
けぶらぬ火鉢のふちかけて、ひらひらとちょうが来る。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
けぶるやうな空気はすべての物を包んだ。
灯火 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
うちけぶる夜の靜けさ
藤村詩抄:島崎藤村自選 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)