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遊行
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ゆぎょう
ふりがな文庫
“
遊行
(
ゆぎょう
)” の例文
「雪が解けたら、また
教化
(
きょうげ
)
の旅に出かけたいの。——信州へも、越後へも。——久しぶりに東海道も
遊行
(
ゆぎょう
)
してみたい」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と村の
小児
(
こども
)
は峠を
視
(
なが
)
める。
津幡川
(
つばたがわ
)
を
漕
(
こ
)
ぐ船頭は、(
笄
(
こうがい
)
さした黒髪が、空から水に映る)と申す、——峠の
婦人
(
おんな
)
は、里も村も、ちらちらと
遊行
(
ゆぎょう
)
なさるる……
星女郎
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
『大集経』二十二に浄道窟の兎天下を
遊行
(
ゆぎょう
)
して
声聞乗
(
しょうもんじょう
)
を以て一切兎身衆生を
教化
(
きょうけ
)
し離悪勧善せしむとあるは兎中の兎仏ともいうべきものありと説いたので
十二支考:02 兎に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
香
(
かお
)
りのする花の咲き軟らかな草の
滋
(
しげ
)
って居る
広野
(
ひろの
)
を
愉快
(
たのし
)
げに
遊行
(
ゆぎょう
)
したところ、水は大分に夏の初めゆえ
涸
(
か
)
れたれどなお清らかに流れて岸を洗うて居る大きな川に出で逢うた
五重塔
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
上野国
(
こうずけのくに
)
の国府に明円という僧があったが
遊行
(
ゆぎょう
)
の
聖
(
ひじり
)
が念仏を申し通ったのを留めて置いて、自分の処へ道場を構え念仏を興行していたが、或夜の夢に、われはわが朝の大導師聖覚という者である。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
▼ もっと見る
「一度肉体死スルヤ、其霊魂ハ、
遊行
(
ゆぎょう
)
シテ——遊行シテ……と」
伸子
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
そういう中川べりに
遊行
(
ゆぎょう
)
したり寝転んだりして
魚
(
うお
)
を釣ったり、魚の来ぬ時は
拙
(
せつ
)
な歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい
甘
(
うま
)
い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが
蘆声
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
どれもこれも、薄ぎたなくて、
不精髯
(
ぶしょうひげ
)
を
生
(
は
)
やして、
負
(
お
)
い
薦
(
ごも
)
に尺八一本持って歩いていた。——中には本格的に鈴を振って、
普化禅師
(
ふけぜんじ
)
をまねて
凛々
(
りんりん
)
と
遊行
(
ゆぎょう
)
していた者がないこともなかったが。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
遊行
(
ゆぎょう
)
の
途
(
と
)
ではない。出陣の道であるぞ。旗本に蹴ちらされるな」
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“遊行”の意味
《名詞》
(ゆうこう)遊びながら無目的に旅行すること。
(ゆうこう)あてもなく、ふらふらと歩くこと。
(ゆぎょう)僧が諸国を巡り歩き布教・修行すること。
(出典:Wiktionary)
“遊行”の解説
遊行(ゆぎょう)とは、主に仏教の僧侶が布教や修行のために各地を巡り歩くこと。
(出典:Wikipedia)
遊
常用漢字
小3
部首:⾡
12画
行
常用漢字
小2
部首:⾏
6画
“遊行”で始まる語句
遊行上人
遊行女婦
遊行寺
遊行坂
遊行柳
遊行女
遊行日
遊行様
遊行衆
遊行念仏