虎列拉コレラ)” の例文
しかしわたくしはほゞ抽齋の病状をつくしてゐて、その虎列拉コレラたることを斷じたが、米庵を同病だらうと云つたのは、推測に過ぎなかつた。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
虎列拉コレラ流行はやり出した為め大阪名物の一つ、築港の夜釣よつりが出来なくなつたのは、釣好きにとつて近頃の恐慌である。
何は扨置さておき中津にかえって一度母にうてわかれを告げて来ましょうとうので、中津に帰たその時は虎列拉コレラ真盛まっさかりで、私の家の近処きんじょまで病人だらけ、バタ/″\死にました。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
九月に入つて登記所の庭に黄色い鷄頭の花が咲くやうになつてもまだ虎列拉コレラは止む氣色もない。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
「随分気が長いね。もっとも僕の知ったものにね。虎列拉コレラになるなると思っていたら、とうとう虎列拉になったものがあるがね。君のもそう、うまく行くと好いけれども」
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それからコロリ(虎列拉コレラ)の流行ったことがあった。これはいくら建築が建固でも安心は出来ぬもの。私も子供ながら非常に怖かったが、私の内には幸いに一人も患者を出さなかった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
抽齋と米庵とは共に安政五年の虎列拉コレラに侵された。抽齋は文化二年生の五十四歳、米庵は八十歳であつたのである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
さうして朽ちかゝつた家々のランプのかげから、死にひんした虎列拉コレラ患者くわんじやは恐ろしさうに蒲團をひいだし、ただぢつとうすあかりのうちに色えてゆく五色花火のしたゝりに疲れた瞳を集める。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
壜にはこの政事家の好きな独逸語で「虎列拉コレラ菌の培養液」と書いてあつた。
しばらくしてめ、慶応義塾の別科を修め、明治十二年に『新潟新聞』の主筆になって、一時東北政論家の間におもんぜられたが、その年八月十二日に虎列拉コレラを病んで歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
虎列拉コレラけの花火、さては古めかしい水祭の行事などおほかたこの街特殊のものであつて、張のつよい言葉つきも淫らに、ことにこの街のわかい六騎ロツキユは温ければすなどり、風の吹く日は遊び、雨には
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
「事によつたら虎列拉コレラかも知れないぞ。」
この年の虎列拉コレラは江戸市中において二万八千人の犠牲を求めたのだそうである。当時の聞人ぶんじんでこれに死したものには、岩瀬京山いわせけいざん安藤広重あんどうひろしげ抱一ほういつ門の鈴木必庵すずきひつあん等がある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
抽斎は眼疾を知らない。歯痛を知らない。腹痛は幼い時にあったが、壮年に及んでからはたえてなかった。しかし虎列拉コレラの如き細菌の伝染をば奈何いかんともすることを得なかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
かの学者の渋江抽斎しぶえちゅうさい、書家の市河米庵、ないし狂歌師仲間の六朶園ろくだえん荒井雅重、家元仲間の三世清元延寿太夫等と同じく、虎列拉コレラに冒されたのかも知れない。諸持は即ち初代宇治紫文である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)