菅沼すがぬま)” の例文
それがはゝの死んだ時も、菅沼すがぬまの死んだ時もて、始末をしたので、生前に関係のふかかつた代助とも平岡とも知り合になつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
日光の湯本の奥から菅沼すがぬま笈沼まるぬまを経て、上州じやうしうの尾瀬沼に行く間なども、夏は涼しいところだと思ひますね。あそこなども今に屹度きつと開けるだらうと思ひます。
談片 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
ともなひ紀州へこそは歸りけれこゝに伊豫國新居郡にゐごほり西條の城主じやうしゆ高三萬石松平左京太夫此程このほど病氣びやうきの所ろいまだ嫡子ちやくしなし此は紀伊家の分家ぶんけゆゑ家督評議かとくひやうぎとして紀州の家老からう水野筑後守みづのちくごのかみ久野但馬守くのたじまのかみうら彈正だんじやう菅沼すがぬま重兵衞渡邊對馬守つしまのかみ熊谷くまがや次郎南部なんぶ喜太夫等の面々めん/\うちより跡目あとめの評議に及びけるとき水野筑後守進出すゝみいでて申けるは各々の御了簡ごれうけん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
平岡も、代助の様に、よく菅沼すがぬまうちあそびにた。あるときは二人ふたりつて、た事もある。さうして、代助と前後して、三千代みちよと懇意になつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
四人よつたりは此関係で約二年やくにねん足らずごした。すると菅沼すがぬまの卒業するとしはる菅沼すがぬまはゝと云ふのが、田舎いなかからあそびにて、しばらく清水しみづ町にとまつてゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
その頃、代助の学友に菅沼すがぬまと云うのがあって、代助とも平岡とも、親しく附合っていた。三千代はそのいもとである。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)