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若紫
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わかむらさき
中がらすの障子のうちには
今様の
按察の
後室が
珠数をつまぐつて、
冠つ
切りの
若紫も
立出るやと思はるる、その一ト
搆へが大黒屋の寮なり。
中がらすの
障子のうちには
今樣の
按察の
後室が
珠數をつまぐつて、
冠つ
切りの
若紫も
立出るやと
思はるゝ、その一ツ
搆へが
大黒屋の
寮なり。
姉に
妹に
數多き
同胞をこして
肩ぬひ
揚げの
幼なだちより、いで
若紫ゆく
末はと
寄する
心の
人々も
多かりしが、
空しく二八の
春もすぎて
今歳廿のいたづら
臥
“若紫”の解説
若紫(わかむらさき)は、
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第5帖。巻名は、一般的には「この巻で幼い日の紫の上を描いていることからこの巻を若紫と呼ぶ」とされるが、「若紫」という言葉そのものは含んでいないものの、光源氏の歌「手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草」によるとされることもある。光源氏が北山で幼い紫の上を垣間見てから二条院に迎えるまでを書く。紫の上の少女時代を「若紫」と呼ぶことがあるが、作中でこう記されることはない。
『紫日記』では紫式部のこと。「左衞門のかみあなかしこ此のわたりにわかむらさきやさふらふとうかゝいたまふ」(藤原公任が酔って紫式部のいるあたりを「私の若紫おいでですか?」といいたまう)とある。
(出典:Wikipedia)