義景よしかげ)” の例文
義昭よしあきでも義景よしかげでも、また今川義元のごときでさえも、位置や名門に晏如あんじょとしていれば、たちまち時代の怒濤がくつがえして行った。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
備中びつちう一時あるとき越前ゑちぜん領土巡検りやうどじゆんけんやくを、主人しゆじん義景よしかげよりうけたまはり、供方ともかた二十にんばかりをれて、領分りやうぶんたみ状態じやうたいさつせんため、だゝる越前ゑちぜん大川おほかは足羽川あすはがはのほとりにかゝる。
怪力 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「尾越どの」とは上杉輝虎の義兄にあたる長尾義景よしかげのことで、げんざい尾越の城主として上杉家一方の勢力をにぎっている。「小田原」というのは北条氏実ほうじょううじざねにちがいない。
城を守る者 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
然るに、義景よしかげ自ら出張せず、一族孫三郎景健かげたけに、約一万の兵を与えて来援せしめた。
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
北に朝倉義景よしかげ、斎藤義龍よしたつ、西に佐々木、浅井。南に三河の松平と——。山ひとえ、川一すじの隣はすべて敵ばかりだ
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皮膚病は、山代の温泉で、すっかりえていた。さっそく、義景よしかげの君前に出て
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その密々みつみつな運動のために、過日来、若狭からこの金ヶ崎城下へ来て、幾たびとなく、太守たいしゅ義景よしかげにもまみえ、藩老の私邸へも訪れ、ほとんど、寝食も忘るるばかり、その成功に努めていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝倉勢の弱さなども、主将義景よしかげの行動を見るだけでも、その理由がわかる。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝倉景行は、一乗谷へ帰ると、その由を、主君の義景よしかげにはなした。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いうまでもなく一乗ヶ谷から出てきた朝倉義景よしかげの大軍だった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)