義仲よしなか)” の例文
木曾義仲よしなかが、旭将軍あさひしやうぐんの勢威を以て、京洛の地に暴威を振ひながら、忽ちにして一敗地にまみれたのも、彼にはよき教訓であつたであらう。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
こと癇癖かんぺき荒気あらきの大将というので、月卿雲客も怖れかつ諂諛てんゆして、あたかもいにしえの木曾義仲よしなかの都入りに出逢ったようなさまであった。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「木曾の冠者かじゃ義仲よしなか近江おうみ以北の諸源氏をかたらって、伊豆の頼朝に応じて候」とある。愕然がくぜんと、六波羅の人心は、揺れうごいた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一四三頼朝よりとも東風とうふうきそひおこり、一四四義仲よしなか北雪ほくせつをはらうて出づるに及び、平氏の一門ことごとく西の海にただよひ、つひに讃岐の海志戸一四五八嶋にいたりて
徳川の一門にも随分忠義の国これ有り、加薩仙肥など頼母たのもしく相見え候えども、まるにこれらへ御委任され候わば、やはり義仲よしなかならざれば董卓とうたくに御坐候。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
平清盛たいらのきよもりの専横に抗して、頼政よりまさをはじめ、伊豆の頼朝よりとも、木曾の義仲よしなか等源氏の一党が、以仁王もちひとおう令旨りょうじを奉じて一斉いっせいに挙兵した年である。この前後は東大寺の性質もむろん変っていた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「此れがねえ、木曾きそ義仲よしなかが討死した粟津が原です」
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
五 あさひ将軍義仲よしなか
県歌 信濃の国 (新字新仮名) / 浅井洌(著)
木曾義仲よしなかのことをいったのであろう。義仲の弱点は武人のたれにも一応はある弱点である。いや人間のたれもが得意となればち入りやすいあなである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頼朝よりともが機に乗じて東国から兵を挙げ、義仲よしなかが北国から雪をけたてて京へのぼるにおよんで、さしもの平家一門も都をおちて西の海にのがれ、ついに讃岐の海
木曾義仲よしなかの場合でも分るし、尊氏の最初の京都入りの場合でも分るのだから、正成の献策が容れられたならば、尊氏は再敗地にまみれたかも分らないのである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)