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罷下
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まかりくだ
去る程にその折ふし、筑前太宰府、
観世音寺の仏体奉修の為め、
京師より
罷下り候ひし、
勝空となん呼ばるゝ
客僧あり。
尚々、
此与右衛門儀、御国へも
可参候間、
被成御心付候て
被下候はゞ、
可忝候、以上
其後者、
以書状不申上、
背本意奉存候、拙者も今程、肥後国へ
罷下り、肥後守
念比ニ申候ニ付而、逗留仕居候
窺はんやと評議
區々にて更に
決着せざりしにぞ山内伊賀亮
進み出て申樣は
直に江戸表へ
罷下らん事先以て
麁忽に似て然べからず其
仔細は先年駿河大納言殿の御
子息長七郎君も先大坂へ御出の
吉例も
有ば此先例に
任せ一先大坂へ出張ゆる/\
關東の
動靜を
一橋本町一丁目家主八右衞門申上奉つり候
去冬御所刑に相成候彦兵衞
悴彦三郎と申者父彦兵衞
無罪にして御所刑に相成候事私し申上方
宜からざる故也因ては父の敵に候へば
討果彦兵衞に
手向度由申候に付公儀の
御成敗は我々力に及ばずと申聞候へ共一
向得心仕つらず殊に若年と申大坂より一人
罷下り候儀
亂心の樣に相見え旅宿承まは