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練塀小路
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ねりべいこうじ
ふりがな文庫
“
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)” の例文
「ウム……言われて名乗るも
烏滸
(
おこ
)
がましいが、
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
に
匿
(
かく
)
れのねえ、
河内山宗俊
(
こうちやまそうしゅん
)
たァ俺のことだッ」とでもやられて見ろ、
仮令
(
たとい
)
その扇子が親譲りの
青バスの女
(新字新仮名)
/
辰野九紫
(著)
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
あたりで
按摩
(
あんま
)
の笛、
駿河台
(
するがだい
)
の方でびょうびょうと犬が吠える。物の音はそのくらいのもので、そこへ二
挺
(
ちょう
)
の駕籠が前後して神田昌平橋にさしかかる。
大菩薩峠:01 甲源一刀流の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
其処
(
そこ
)
の長屋を貸すと云うので、
早速
(
さっそく
)
岡本と私とその長屋に
住込
(
すみこん
)
で、両人自炊の
世帯持
(
しょたいもち
)
になった、夫れから同行の原田は
下谷
(
したや
)
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
の
大医
(
たいい
)
大槻俊斎
(
おおつきしゅんさい
)
先生の処へ
入込
(
いりこん
)
だ。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
泣いて、こう母親に意見されて、その次の日、次郎吉は
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
の肴屋魚鉄へ奉公にやられた。
小説 円朝
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
勢
(
いきおい
)
此
(
かく
)
の如くであったので、漁村歿後に至っても、
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
の伝経廬は旧に
依
(
よ
)
って繁栄した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
佐竹侯の邸内から下谷
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
の家に移り、この年天保六年六十九歳の春には
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
一路行き向かったところは、
河内山
(
こうちやま
)
宗俊
(
そうしゅん
)
でおなじみのあの
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
でした。
右門捕物帖:15 京人形大尽
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
の湯屋を出たのはたしかに、その人であったに相違ないけれど、
早駕籠
(
はやかご
)
の行先はわかりません。
大菩薩峠:19 小名路の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
維新の
初
(
はじめ
)
に官吏になって、この邸を伊沢鉄三郎の徳安が手から買い受けて、
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
の湿地にあった、
床
(
ゆか
)
の低い、畳の腐った家から移り住んだ。
独
(
ひとり
)
家宅が改まったのみではない。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
江戸に
参
(
まいっ
)
てから
下谷
(
したや
)
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
の
大槻俊斎
(
おおつきしゅんさい
)
先生の塾に朋友があって、私はその時
鉄砲洲
(
てっぽうず
)
に居たが、その朋友の処へ話に
行
(
いっ
)
て、夜になって練塀小路を出掛けて、
和泉橋
(
いずみばし
)
の処に来ると雨が
降出
(
ふりだ
)
した。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
その翌朝、
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
の西の湯というのへ、見慣れない一人の客が、一番に入って来ました。
大菩薩峠:19 小名路の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
成善はこの年十月
朔
(
ついたち
)
に海保漁村と小島成斎との門に
入
(
い
)
った。海保の塾は
下谷
(
したや
)
練塀小路
(
ねりべいこうじ
)
にあった。いわゆる
伝経廬
(
でんけいろ
)
である。下谷は
卑溼
(
ひしつ
)
の地なるにもかかわらず、庭には
梧桐
(
ごとう
)
が
栽
(
う
)
えてあった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
練
常用漢字
小3
部首:⽷
14画
塀
常用漢字
中学
部首:⼟
12画
小
常用漢字
小1
部首:⼩
3画
路
常用漢字
小3
部首:⾜
13画
“練塀”で始まる語句
練塀
練塀町