練塀小路ねりべいこうじ)” の例文
「ウム……言われて名乗るも烏滸おこがましいが、練塀小路ねりべいこうじかくれのねえ、河内山宗俊こうちやまそうしゅんたァ俺のことだッ」とでもやられて見ろ、仮令たといその扇子が親譲りの
青バスの女 (新字新仮名) / 辰野九紫(著)
練塀小路ねりべいこうじあたりで按摩あんまの笛、駿河台するがだいの方でびょうびょうと犬が吠える。物の音はそのくらいのもので、そこへ二ちょうの駕籠が前後して神田昌平橋にさしかかる。
其処そこの長屋を貸すと云うので、早速さっそく岡本と私とその長屋に住込すみこんで、両人自炊の世帯持しょたいもちになった、夫れから同行の原田は下谷したや練塀小路ねりべいこうじ大医たいい大槻俊斎おおつきしゅんさい先生の処へ入込いりこんだ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
泣いて、こう母親に意見されて、その次の日、次郎吉は練塀小路ねりべいこうじの肴屋魚鉄へ奉公にやられた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
いきおいかくの如くであったので、漁村歿後に至っても、練塀小路ねりべいこうじの伝経廬は旧にって繁栄した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
佐竹侯の邸内から下谷練塀小路ねりべいこうじの家に移り、この年天保六年六十九歳の春には
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
一路行き向かったところは、河内山こうちやま宗俊そうしゅんでおなじみのあの練塀小路ねりべいこうじでした。
練塀小路ねりべいこうじの湯屋を出たのはたしかに、その人であったに相違ないけれど、早駕籠はやかごの行先はわかりません。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
維新のはじめに官吏になって、この邸を伊沢鉄三郎の徳安が手から買い受けて、練塀小路ねりべいこうじの湿地にあった、ゆかの低い、畳の腐った家から移り住んだ。ひとり家宅が改まったのみではない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
江戸にまいってから下谷したや練塀小路ねりべいこうじ大槻俊斎おおつきしゅんさい先生の塾に朋友があって、私はその時鉄砲洲てっぽうずに居たが、その朋友の処へ話にいって、夜になって練塀小路を出掛けて、和泉橋いずみばしの処に来ると雨が降出ふりだした。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その翌朝、練塀小路ねりべいこうじの西の湯というのへ、見慣れない一人の客が、一番に入って来ました。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
成善はこの年十月ついたちに海保漁村と小島成斎との門にった。海保の塾は下谷したや練塀小路ねりべいこうじにあった。いわゆる伝経廬でんけいろである。下谷は卑溼ひしつの地なるにもかかわらず、庭には梧桐ごとうえてあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)