端役はやく)” の例文
紙屋のほうもやはり、一八七一年の大活劇にちょっと端役はやくをつとめたことがあった。でも見たところそういう人物だとは思えなかった。
母親は最後の教訓に「いつまでも端役はやくでゐるやうに、又善良でゐるやうに」と言つた。娘は今でもこの教訓通り、善良な端役フイギユラントに終始してゐる。
そうして端役はやくに出る無表情でばかのような三人の門付かどづけ娘が非常に重大な「さびしおり」の効果をあげているようである。
映画雑感(Ⅳ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
第三には「端役はやくの人物」で、大善でもない、大悪でもない、いわゆる平凡の人物でありますが、これらの三種の人物中、第一類の善良なる人物は
左右太は、もと上総かずさの農家のせがれだったが、越前守に、ふとみとめられて、奉行所の端役はやくから、抜擢ばってきされた者だった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
如何なる作家の場合でも小説の中の主人公や相手役、端役はやくの人物が決定するのと、その人物の名前が決定するのは殆んど同時ではあるまいかと思う。
創作人物の名前について (新字新仮名) / 夢野久作(著)
彼によれば、優れた個人はそこここに散らばって、今のところ社会の端役はやくを演じているにすぎないが、しかもその働らきを見逃すわけにはいかない。
よく端役はやくという事をいうが、活動写真には端役というべきものはないように思われる。どれもこれもすべてが何らかの意味で働いているように思われる。
活動写真 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
というのは、この男は、おそらくこの叙事詩に於いて、決して端役はやくしかつとめない人物ではなさそうだからである。
客のうちで赭顔あからがお恰腹かっぷくの好い男が仕手してをやる事になって、その隣の貴族院議員がわき、父は主人役で「娘」と「男」を端役はやくだと云う訳か二つ引き受けた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私はその中のほんの端役はやくをつとめているに過ぎんのじゃないかしらんというような有り得べからざる幻想が、ちらちらと浮かんで、胸がちくりと痛んでくるのです。
アパートの殺人 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
旅廻りは言ふまでもない事、の市村座興行も余り気乗がしない、座方ざかたの都合でたつて顔を出さなければならない場合でも、端役はやくの外は決してひきうけようとは言はない。
その他悪友男女十数人、この物語には端役はやくの人々ゆえ、ここに名をしるさず、必要に応じて紹介する。
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
刀のさびにするにも足らない奴だがよい折柄おりから端役はやく、こいつに女のいきさつをすっかり任せてしまえば、女のほだしから解かれることができる。竜之助はこうも思っているらしい。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ただ、役者の台詞せりふが、ほとんど昭和の会話の調子なので、残念に思った。脚色家の不注意かも知れない。俳優は、うまい。どんな端役はやくでも、ちゃんと落ちついてやっている。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
仕出し同然の端役はやくではあったが眼につく役だった。演りようによってはいくらでも儲けることの出来る役だった。いさんでかれは稽古に入った。一つ久しぶりにと大反跳おおはずみにかれははずんだ。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
映画には、俳優が第二義で監督次第でどうにでもなるという言明の真実さが証明されている。端役はやくまでがみんな生きてはたらいているから妙である。
映画雑感(Ⅲ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ちょっとした端役はやくもやりました。それからある晩、喜劇の侍女が病気になったとき、私は冒険的にその役を受け持たせられました。それから引きつづいてその役をしました。
もう一つ面白いのは主役と端役はやくとで名前の附け方が違うことである。
創作人物の名前について (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ただの端役はやくでおわらせていないところもよい。
当選作所感 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
この一座には立役者以外の端役はやくになかなか芸のうまい人が多いようである。
初冬の日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)