空風からかぜ)” の例文
情ない空風からかぜが遠い街の塵を揚げて森の香の清い此処ここらまでも吹き込んで来る頃になると、定まったように脳の工合が悪くなる。
やもり物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ヒュウと悲しい音を立てて、空風からかぜが吹いて通る。跡からカラカラに乾いた往来の中央まんなかを、砂烟すなけぶりぼっと力のない渦を巻いて、よじれてひょろひょろと行く。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
そうだったらこの憤懣は〔欠〕——彼女達の一家はこの半月程前に、すみなれた大阪から、空風からかぜと霜どけの東京の高台の町へ引越して来たばかりだった。
不幸 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
弁持も洲崎に馴染なじみがあってね、洲崎の塩竈……松風空風からかぜ遊びという、菓子台一枚で、女人とともに涅槃ねはんろう。……その一枚とさえいう処を、台ばかり。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
空風からかぜの吹きまくらない野面のづらには春に似たもやが遠く懸っていた。その間から落ちる薄い日影もおっとりと彼の身体からだを包んだ。彼は人もなくみちもない所へわざわざ迷い込んだ。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
空風からかぜちまた黄塵こうじんを巻いて走り、残り少なくなった師走しわすの日と人とを追い廻していた。
乗合自動車 (新字新仮名) / 川田功(著)
町は歳暮の売出しでにぎわい、笹竹ささたけ空風からかぜにざわめいていたが、銀子はいつか栗栖に買ってもらった肩掛けにじみな縞縮緬しまちりめんの道行風の半ゴオトという扮装いでたちで、のぞき加減の鼻が少しとがり気味に
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
女童めのわらわや老女まで、およそはみな暇をやってあったので、百年の歴史をもつここの門も空風からかぜが鳴っているだけだった。ただひとり残されていた老家職が、守時のすがたに、さんぜんとむせいた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前者は川沿いのある芝地を空風からかぜの吹く夜中に通っていると、何者かが来て不意にべろりと足をなめる、すると急に発熱して三日のうちに死ぬかもしれないという。
化け物の進化 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
空風からかぜの寒い日などは、血色の悪い総毛立ったような顔をして、火鉢に縮かまっていた。少しはげしい水仕事をすると、小さい手がじきに荒れて、み手をすると、カサカサ音がするくらいであった。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ヒューッと寒い空風からかぜが目に砂を入れて行った。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先ず堅い高足駄たかあしだをはいて泥田の中をこね歩かなければならない事、それから空風からかぜと戦い砂塵に悩まされなければならない事、このような天然の道具立にかてて加えて
電車と風呂 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ほこりっぽい窓の障子に、三時ごろの冬の日影が力なげに薄らいで来たころに、浅井はやっとそこを脱け出したが、遊びに耽り疲れた神経に、明るい外の光や騒がしい空風からかぜがおそろしいようであった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
少なくも親戚の老人などの中にはこの災難と厄年の転業との間にある因果関係を思い浮べるものも少なくないだろう。しかしこれは空風からかぜが吹いて桶屋が喜ぶというのと類似の詭弁きべんに過ぎない。
厄年と etc. (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)