白石はくせき)” の例文
故川田甕江おうこう先生は、白石はくせき鳩巣きゅうそうてた書翰しょかんと『折焚柴おりたくしばの記』に浪人越前某の伝を同事異文で記したのを馬遷班固の文以上にめたが
一、徳川時代の儒者にて見識の高きは蕃山ばんざん白石はくせき徂徠そらいの三人を推す。徂徠が見解は聖人を神様に立てて全く絶対的の者とする。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
きょうの泊りのことを知りて出迎えし「リフレエ」着たる下部しもべに引かれて、白石はくせききざはしのぼりゆくとき、園の木立をるゆう日朱のごとく赤く
文づかい (新字新仮名) / 森鴎外(著)
中野桃園の人といえば新井白石はくせきです。近ごろ役を退いたとは聞いたが、あの権勢家が何しにこの薬園などへ訪れて来たのかといぶかしく思いながら、取敢えず立ってゆくと
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これによって根の国を夜の世界と見ようとする、白石はくせき先生などの説は行き過ぎであった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
白石はくせき手簡しゆかんに八景のはじめは宋人か元人かにて宋復古と申す畫工云々とあるが、それは夢溪筆談に出てゐる度支員外郎宋迪そうてきの事で、平沙へいさ落雁らくがん遠浦ゑんぽ歸帆きはん山中さんちゆう晴嵐せいらん江天こうてん暮雪ぼせつ洞庭どうてい秋月しうげつ瀟湘せうしやう夜雨やう
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
白石はくせき先生の『折焚柴おりたくしば』を読みてそぞろに感ずる所あり、先生が若かりし日、人のさかしらに仕を罷めて浪人の身となりさがりたる時、老いたる父母を養ひかねて心苦しく思ふを人も哀れと見て
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
けふのとまりのことを知りて出迎へし「リフレエ」着たる下部しもべに引かれて、白石はくせききざはしのぼりゆくとき、園の木立をもるるゆふ日あけごとく赤く、階の両側ふたがわうずくまりたる人首じんしゅ獅身ししんの「スフィンクス」を照したり。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)